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Research Center for World Buddhist Cultures

世界仏教文化研究センター

活動内容

【開催報告】2020年1月29日(水)研究セミナー「親鸞における本地垂迹と神祇不拝」を開催しました

開催日時
2020年1月29日(水)13:15~15:00
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講演者

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2020年1月29日、佐藤弘夫氏(東北大学名誉教授)による研究セミナー「親鸞における本地垂迹と神祇不拝」が開催された。佐藤氏は、日本中世には神仏をめぐり、認知不可能な「あの世」の神(本地)と、認知可能な「この世」の神(垂迹)が存在したこと解説した。その上で当時、一般の人々が認知可能な身近な垂迹神に帰依するなか、親鸞が本地の媒介者たる垂迹神に対して救済者としての要素を一切認めなかった点に、親鸞独自の信仰体系が見られることを論じた。以下、講演の概要である。

親鸞が生きた11~12世紀には、神と仏の明確な区分は存在しなかった。区分があるとすれば、それは「認識できる存在」と「認識できない存在」であり、親鸞自身も、こうした中世の神観念を共有していたと考えられる。
当時の浄土往生思想では、往生にあたって「垂迹―神」の後押しを受けるのが通例であった。仲介者たる神は、認識できない本地ではなく、認識可能な仏像や聖者、そして神であった。親鸞の聖徳太子観を紐解けば、こうした垂迹思想自体を否定していないことは明白である。ただし、浄土往生のために垂迹思想を用いることは決してなかった。この点が同時代の中世人と親鸞との決定的な違いである。

講演を受けて、杉岡孝紀氏(龍谷大学農学部教授)がコメントを行った。杉岡氏は、従来、真宗の神祇観は「不帰依」と「護念」という二つの立場があるという理解で止まっていた。そのため、佐藤氏が論じた垂迹思想に基づき、親鸞浄土教の神祇観も再考する必要があると指摘した。さらに、親鸞浄土教では「浄土から戻って来る」という還相や化身という思想がある。この親鸞思想と垂迹思想の関係をどう捉えるべきかを尋ねた。これに対し、佐藤氏は思想上の親和性だけ見れば、関係するように思える。ただ、親鸞は果たして法然を拝んだのか。当時の垂迹思想の特色には、祈願する対象であったことも挙げられる。そうした観点から考えれば、垂迹思想とそのまま連結させることは難しい。むしろ、そこに親鸞の独自性もあるのではないか、と応答した。その後、参加者からも多数の質問がなされ、中世における聖徳太子をめぐる位置づけや、法然の神祇観についてなど、親鸞に限らず、幅広い議論と問題点が抽出され、講演会は終了した。

 

佐藤氏(中央)

 

コメンテーターの杉岡氏

 

司会の玉木氏

 

会場の様子

 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)親鸞浄土教総合研究班 真宗善本典籍研究プロジェクト
ポスター
研究セミナー案内チラシ「親鸞における本地垂迹と神祇不拝」