森本 あんり 氏(国際基督教大学教授)
龍谷大学世界仏教文化研究センター
協力事業のご案内
2020年3月7日(土)宗教倫理学会公開講演会「誤れる良心の寛容論」
宗教倫理学会公開講演会
「誤れる良心の寛容論」
2020年3月7日(土)13:00~15:00(12:30開場)
龍谷大学大宮キャンパス清和館3階
講師:森本 あんり 氏(国際基督教大学教授)
宗教倫理学会HP
http://jare.jp/activity/category/openlec/index.html
Richard Jaffe氏(デューク大学教授)
2019年12月11日、デューク大学教授のRichard Jaffe氏による講演会「日・印仏教交流と仏教の近代化」を開催した。本講演会は、Jaffe氏の新著Seeking Sakyamuni: South Asia in the Formation of Modern Japanese Buddhism (The University of Chicago Press, 2019) の出版を記念して、当センターとアジア仏教文化研究センターが企画したものである。講演では、19世紀末から20世紀初頭にかけて、南方アジアが日本仏教との重要な接触域として、どう発展し、また日本との経済的交渉が、日本人の巡礼や仏教聖地における学びをどのように育んだかを中心に論じられた。以下、講演の概要である。
日本近代仏教史研究において、西洋世界との交流に関する研究が一定数存在するのに対して、アジアとの交流を題材とする研究は相対的に少ない。明治以降、多くの日本人僧侶がアジア諸国を旅した。この頃、日本では諸外国との貿易が盛んであり、それを可能にしたのが海運の発達である。定期船の存在は、僧侶の海外渡航も後押しした。インドやセイロン、シャムなど、仏教のルーツを求めた彼らの足跡は、遺された多くの旅行記などから知ることが出来る。
では、彼らの南方アジア歴訪の目的とは何だったのか。一つは仏跡に対する純粋な憧れである。そして、もう一つは大乗非仏説論を反証すべく、インドにおいて大乗仏教の正統性を発掘することだった。それはまさに、“釈尊を探す(Seeking Sakyamuni)”旅だったといえる。
実際、彼らの渡航先における関わり方は様々だった。例えば、北畠道龍のように、ヨーロッパ滞在を経てインドに1ヶ月ほど立ち寄っただけの場合もあった。他方、釈興然のように、スリランカの上座部寺院に長期間滞在して修行に励んだ者もいた。何れにしても、南方仏教(上座部仏教)との出会いは、単に個々人の体験に止まらなかった。帰国の際、多くの僧侶が釈尊像や経典、仏教美術などを持ち帰った。それは宗派色の強い当時の日本仏教に新たな息吹をもたらした。“釈尊正風の仏教伝来”は、保守的な僧侶らとの間に軋轢を生むなど、必ずしも万人に歓迎された訳ではない。しかし、仏教者のアジアとの交流によって、日本人は釈尊を再発見し、超宗派の連帯が促された。さらに、通称「モダン寺」と呼ばれる浄土真宗本願寺派神戸別院や、真宗信徒生命保険株式会社本館(現:伝道院)のような近代的建造物の建築もまた、南方仏教との出会いの産物と言っていいものである。こうした仏教的物質文化に触れた人々は、間接的に南方アジアに触れ、近代化された仏教へと誘われることとなった。
20世紀に入ると、南方アジア歴訪者の中から、山上曹源や木村龍寛、増田慈良のように、インドのコルカタ大学で講師を務める僧侶も誕生する。一方、スリランカ人僧侶が日本に滞在するなど、日本と南方仏教との交流は、新たな展開を見せるようになる。しかし、日本人がなぜ現地の大学で教鞭を執ることになったのか、彼らがインドにどのような影響を及ぼしたのかなど、不明な点は少なくない。これらについては今後、現地の資料や物質文化の調査によって詳らかにしていく必要がある。
Jaffe氏は上記内容に加え、タイより贈られた仏舎利をめぐる日本国内の動向や、パーリ語文献の翻訳出版などにも言及し、多様な観点から南方アジアと日本仏教の交流実態について論じた。質疑応答では、南方仏教側が日本人僧侶を通して大乗仏教をどのように捉えたのかについて質問があった。これに対してJaffe氏は、釈興然の例をとりあげつつ、当時、セイロンでは「東方仏教」「南方仏教」という理解はあったものの、大乗仏教に対する認知度は低かった実態を紹介した。その上で、釈興然の存在が、むしろ大乗仏教の実態を知る最初の契機になったと応答した。その後も多くの参加者と活発な議論が交わされた。
※都合により、司会は当センター博士研究員の菊川一道に変更となりました。
司会の菊川一道(当センター博士研究員)
Richard Jaffe氏(デューク大学)
会場の様子
会場の様子
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沼田智秀仏教書籍優秀賞は、特に西欧における仏教研究の発展を支援するために、2009年に設立された。毎年、英語で執筆された仏教学術書の中から優秀な作品が選定されている。2018年度は、『A Yogācāra Buddhist Theory of Metaphor』 (オックスフォード大学出版、2018年)を上梓したRoy Tzohar氏(テルアビブ大学准教授)が受賞した。
2019年10月4日(金)、受賞を記念し、当センターではTzohar氏を招聘して「What Metaphors Mean and Do within Buddhist Philosophical Texts? A Yogacārā Perspective」と題した記念講演会を開催した。会では、特に初期唯識の哲学書の中に現れるメタファー(uapacāra)に焦点を置き、それが何を意味し、どのような意図のもとで使用されているのかについて考察された。
まず、Tzohar氏は「バーヒーカ人は牛だ」という表現を分析し、唯識の視点を説明された。バーヒーカ人が牛と喩えられるのは、屈強だが愚鈍であるという偏見からきている。ここで実際に語られているのは「人間」であり、「牛」ではない。つまり、人を牛と呼ぶことがメタファーたりえるのは、第一義的な対象物(人間)が類似の異なる対象(牛)でないときに限られる。Tzohar氏は、この不在性が唯識におけるメタファーを理解するために重要だと指摘する。その上で、唯識においては、不在性が全ての言語表現を特徴づけるものとみなされていると論じた。
6世紀の僧・安慧は註釈書の中で、メタファーは実際の物事についてではなく、意識の転変に関連して生まれ出るものだと主張した。自己や物事はすべて分別により作りだされており、実際は想像上のものでしかなく、究極的には存在しないのである。
またTzohar氏は、「全ての言葉は比喩的である」という安慧の主張に注目。これは、言葉は対象そのものではなく、対象が意識の転変の中に顕現するプロセスを語っていることを意味する。そして、言葉が因果関係の理解と結びついている点、その理解は発言者によって異なるという点に留意しなければならないと指摘した。凡人、高僧、仏菩薩では理解のレベルが違うため、物事を認識する能力や表現する正確さにも差があり、言葉のレベルが変わってくるのである。これは、全ての教えは手段でしかなく、それゆえ一様に世俗的で、実在性がないとする中観派と一線を画す主張である。この主張によって唯識派は、世俗の言葉によって真理を示すことはできないとしながらも、自らの哲学議論の有効性を正当化したのである。
さらにTzohar氏は、唯識の言語理解の重要性の一つとして、様々なレベルの者の対話を可能にした点を挙げた。上述のように、唯識では、教義は様々なレベルの者の言葉によって表現され、その正確さは発信者の認識レベルと深く関わっている。そのため唯識では、菩薩が非概念的な経験をすることと菩薩が六道世界の中で世俗的な言葉を使うことについての両立が可能となる。非概念的に本質を理解している者の使用する言語は、凡人の使用する言語とは異なり、より効果的に本質を語ることができる。このような唯識の思想に基づけば、悟りを開いた者と衆生が世界を共有することが可能となる。Tzohar氏は、この点が唯識における言語理解の中で最も重要な事項だと述べ、講演を締めくくった。
コメンテーターの桂紹隆氏(龍谷大学名誉教授・仏教伝道協会理事長)は、Tzhohar氏が不可知な真理の言語表現をめぐってメタファーに着目したことは過去にない斬新な視点であったと評価した。ただし、本来は「実在しないものが言語によって実在するかのように表現されること」を意味するuapacāraを、Tzohar氏が「メタファー」と翻訳したことには再考の必要があると指摘した。講演会ではその後もメタファーをめぐって活発な議論が交わされた。
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※本講演会は一般公開、事前登録不要です。
※講演は英語で行われます。
【チラシ】(クリックで拡大)
【地図】(クリックで拡大)
当センター西域総合研究班長の三谷真澄氏(国際学部教授)が登壇予定の講演会が開催されます。※参加には申込みが必要です。詳細は下記にてご確認ください。
龍谷大学創立380周年記念 国際学部特別企画
大谷光瑞師がつなぐ トルコと龍谷大学 講演会
日 時: 2019年7月30日(火) 13:00~14:30
場 所: 龍谷ミュージアム(アクセス)
費 用: 無料(但し龍谷ミュージアム観覧の場合は別途必要です)
講 師: ヤマンラール水野 美奈子 氏
(京都国立近代美術館展示(トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」 監修、龍谷大学国際文化学部元教授)
三谷 真澄
(龍谷大学創立380周年記念書籍編集委員会編集委員、龍谷大学国際学部長)
コーディネーター:内田 孝 氏
(京都新聞総合研究所長)
申込方法:下記リンク・QRコードよりお申込みください(限定35名)
https://www.ryukoku.ac.jp/form_wl/
問い合わせ:龍谷大学国際学部教務課 075-645-5645
2019年6月19日(水)、龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)と同大学アジア仏教文化研究センター(BARC)が主催、龍谷学会が共催の形で、沼田研究奨学金2019年度受賞者2名――ミャンマーのSan Tun博士(ダンマドゥータ・チェーキンダ大学仏教哲学科教授、ダゴン大学哲学科教授・同科長)と中国の孟秋麗(阿音娜)博士(中国蔵学研究中心副研究員)による学術講演会が開催されました。
San Tun博士は「Philosophy of Self and Other in Myanmar Theravada Buddhist Culture(ミャンマー上座仏教文化における自己と他者の哲学)」、孟秋麗(阿音娜)博士は「満州語・モンゴル語档案(公文書記録)の中の北京雍和宮」というテーマで講演されました。
<San Tun博士&孟 秋麗(阿音娜)博士> <会場の様子>
※詳細につきましては、後日ご報告いたします。
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 古典籍・大蔵経総合研究班長)
※一般来聴歓迎。お気軽にお越しください。
※Scott A. Mitchell氏について
http://www.shin-ibs.edu/academics/faculty/scott-a-mitchell/
学術協定の記念撮影
講演者のScott A. Mitchell氏
コメンテーターの本多彩氏
2019年5月28日、米国仏教大学院(IBS、Institute of Buddhist Studies)と当センターの学術協定を記念して、講演会「Mid-century Transnational Japanese American Buddhism」(20世紀中庸の越境する日系アメリカ仏教)が開催された。
講師を務めたIBS教授のScott A. Mitchell氏は、浄土真宗本願寺派のバークレー仏教会(カリフォルニア州)が所蔵する仏教青年会の機関誌Berkeley Bussei(1939-1956)を手がかりに、日系二世のアイデンティティや仏教の問題等について論じた。
Mitchell氏によれば、米国生まれの日系二世たちは、戦前には人種差別や反日感情の煽りのなかで、戦後には「日本」と「アメリカ」、そして「仏教」という三つの要素のなかで揺れ動きつつ、アイデンティティを確立していったという。戦後、仏教青年会の日系二世たちは、自身を日本とアメリカの架け橋と捉え、日本仏教をアメリカに伝えることで、人生をより豊かにできると考えた。その際、とくに重要な役割を担ったのが、日本へ留学した日系人であった。彼ら越境者たちが日本の歴史や文化、仏教に関する情報をBerkeley Busseiに定期的に提供し、読者は親の祖国「日本」と、受け継がれてきた「仏教」への理解と想像を深めた。ただし、「仏教」について彼らが抱いた関心は、信仰問題よりも、むしろ仏教を紐帯としたコミュニティが提供する社会的側面に向けられていた。事実、Berkeley Busseiにはスポーツや芸能、パーティ情報の他、大学ゴシップ情報などが掲載されており、こうした面に日系人の「アメリカ」的側面を見出すことが出来る。
従来、アメリカ仏教は西洋知識人の仏教理解などとの関連で論じられ、また、そうした研究の多くが「戦前」を中心に取り上げきた。Mitchell氏はそれらの先行研究を参照しつつも、知識層とは異なる、戦後の日系アメリカ仏教の諸相をローカルな領域から再検討することで、アメリカにおける仏教近代化の新たな側面に着目した。
講演を受けて、兵庫大学准教授の本多彩氏がコメントを行った。本多氏は、日本へ留学した日系人の中に、龍谷大学などで学んだ開教使志望者がいた点に着目し、彼らが果たした役割等について発表者およびフロアの参加者とともに議論した。
アメリカにはバークレー仏教会以外にも、多数の寺院が存在し、そこにはBerkeley Busseiと同様の資料が残されていると考えられる。今後、資料調査とそれらに基づく事例研究の蓄積によって、アメリカ仏教研究を進める必要があることを参加者と共有し、講演会は終了した。
<Johnathan Silk博士> <会場の様子>
(1) チベット語と漢文併記の仏典リスト
フランス国立図書館所蔵の敦煌写本Pt 1257は、敦煌寺院所蔵の仏典を記録したものであると考えられ、チベット語と漢文を対照させる形で仏教経典名が記されている。そして、当該写本には、チベット語名のみで、対応する漢文名が書かれていないものも散見されることから、チベット語で仏典名が記された後に、漢文が付け加えられたことがわかる。Silk氏は、この写本テキストは翻訳する際に辞書代わりに使われたものであろうと推測した。
(2) 漢文蔵訳仏典
大英図書館所蔵の敦煌写本IOL Tib J 724は一見チベット訳仏典に見えるが、「阿弥陀仏」を記述する際には古代中国語発音の音写「a mye da phur」が採用されている。Silk氏はこの発見を手掛かりとして、当該写本の中国語訳を試みた結果、その内容が窺基撰『阿彌陀經通賛疏』と一致することを明らかにした。そして、当該テキストは仏典のチベット訳であるものの、「阿弥陀仏」という語がわざわざ中国語の発音で記されたことに対し、Silk氏は、このテキストは実際には勤行時に唱えられたものであろうと推測し、この中国語発音での念仏は敦煌におけるチベット語での中国風仏教実践の一つであろうと指摘した。
Silk氏はさらに、敦煌に存在したと考えられる漢文蔵訳経典をリスト化して提示した(同氏が『創価大学国際仏教高等研究所年報』平成30年度、第22号に掲載した論文に詳細収録)。漢文テキストからチベット訳を作る理由について、当時、対象経典のサンスクリット語テキストが入手できなかった、またはサンスクリット語テキストからのチベット訳が開始されていなかったなどの可能性が言及された。さらに、Silk氏はリストアップされた経典のなかに、菩提流支編『大宝積経』所収の漢訳経典から蔵訳したものが多数存在することに着目し、漢地で広く広がらなかった漢訳伝本が敦煌に伝えられ、チベット語に訳されたことは意味深いと指摘した。
(3) 『阿弥陀経』漢文テキストのチベット文字転写
大英図書館所蔵のIOL Tib J 1405~1410は、『阿弥陀経』漢文テキストのチベット文字による転写である。Silk氏は、当該テキストが、漢字を読めない人が中国語の発音で『阿弥陀経』を読誦するためのものであったことを指摘した。
(4) 集団的写経実践
フランス国立図書館蔵チベット文字敦煌写本Pt 564、Pt 557、Pt 563、Pt 562、Pt 561、Pt 556、Pt 96は、寸法や筆跡などが異なるにもかかわらず、内容は継続していて、一群として一つの書物を形作るものであると考えられる。当該写本群には、抜け落ちた箇所を書き加えた部分や、赤線を引いてある部分などがあり、抄写本であることがわかる。Silk氏は、これらの写本は元々一連のものであり、複数の写経者が各々の紙と筆を使用して制作した集団的写経実践の産物であろうと指摘した。
以上、敦煌写本中の主にチベット文字で書写された仏教経論テキストの諸相を通して、8~10世紀頃の敦煌において、チベット語教育を受けた人々が、東側の仏教、すなわち中国仏教の影響を受けつつ、浄土的な信仰や実践を行っていたという一面が浮き彫りとなった。Silk氏の文献調査によって、敦煌写本にはいわゆる浄土的な信仰の側面が反映されていることが解明された。
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 古典籍・大蔵経総合研究班長)
※一般来聴歓迎。お気軽にお越しください。