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Research Center for World Buddhist Cultures

世界仏教文化研究センター

活動内容

【開催報告】2020年2月19日 研究セミナー「近世後期における知の集積と思想交流」

開催日時
2020年2月19日(水) 17:30~19:00
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 東黌205教室
講演者

発表1 万波 寿子(世界仏教文化研究センター 嘱託研究員)

テーマ 「丹山順藝の蔵書の特徴―浄土教聖典を中心に―」

 

発表2 三栗 章夫(世界仏教文化研究センター 客員研究員)

テーマ 「惑乱以後の派生学解論争―特に絵像本尊の理解について―」

 

 

2020年2月19日、研究セミナー「近世後期における知の集積と思想交流」を開催した。本セミナーは当センター特定公募研究「大瀛『横超直道金剛錍』の研究」が企画したものである。

 

まず、近世文学が専門の万波寿子氏が「丹山順藝の蔵書の特徴―浄土教聖典を中心に―」と題して発表した。江戸時代の大谷派学僧である丹山順藝(たんざん じゅんげい、1785-1847)は、その業績に比して先行研究が少ない。現福井県越前市の浄勝寺に生まれた順藝は、7歳にして香月院深励(1749-1817)の門下に入る。深励のもとで順藝は多様な典籍の書写を行った。ただし、深励所持本を参照しつつも、可能な限り各地の原典を探し求めて極めて精緻な本文校訂を行うなど、その学問姿勢は師を追従するだけに止まらない。その後、『金剛般若経』の唐代注釈書を校訂したことを契機に、当時流布していた黄檗版大蔵経の誤りの多いことに気づき、建仁寺所蔵の高麗版大蔵経を用いてこれを校訂した。

 

順藝は蔵書家としての一面も持つ。浄勝寺にはかつて3500冊を超える書物が所蔵されており、これは他の一般寺院には類例を見ない。現在、順藝の蔵書目録がいくつか伝えられる。なかでも注目されるのは、順藝自身が記したと考えられる『丹山目録』である。『丹山目録』の構成は独自で大蔵経形式の配置をとっており、これは智洞編『龍谷学黌内典現存目録』全五巻のうち、三巻から五巻の構成を忠実に踏襲したものである。三業惑乱で名高い智洞は、現龍谷大学に収蔵される典籍類の蒐集に多大な貢献を残したことでも知られる。本願寺派の、しかも三業惑乱の敗北側の責任者である智洞の目録を利用している点に、順藝の強いこだわりや特殊な問題意識があると考えられる。万波氏は、智洞や順藝の目録は書物文化研究の観点からも極めて価値が高く、今後、大蔵経研究と併せて精査される必要があることを指摘した。

 

次に、真宗学が専門の三栗章夫氏が「惑乱以後の派生学解論争―特に絵像本尊の理解について―」と題して発表した。1797年に生じた三業惑乱は、江戸幕府など本願寺派内外を巻き込む一大事件であった。最終的に教学の裁断権を握る本山側が敗訴したために、後の本願寺派の教学上の根幹を揺るがす事態となった。三栗氏は特に三業惑乱とそれ以後に派生的に起こった問題を取り上げ、そこで浮上した課題と教学的問題を抽出し、現在、正統とされる教学が形成した背景について論じた。

 

特に、惑乱がもたらした課題として聖教の問題を挙げた。親鸞や歴代宗主の著作の多くは、写され保存される。そこで作られた写本の文言には、意図的か否かは不明であるが、時に教学解釈に影響を与える内容も存在する。惑乱の際にもそうした写本問題が立ち現れた。また、惑乱によって教学の骨格は定まったものの、惑乱以後も詳細をめぐる議論は継続されており、現在の正統とされる教学に与えた影響は少なくない。なかでも注目されるのが本尊論争である。在野派最大の論客であった大瀛は、『横超直道金剛錍』において、三業派の問題として、絵像と木像を名号と同等に扱っていた点を指摘。大瀛は、絵像と木像を信心獲得の場から外し、あくまでも信後の報恩行の場のみに位置づけ、絵像と木像を名号と区別した。一方、惑乱の際、大瀛と同じ側に立っていた道隠や履善は、両像を名号と区別する大瀛の解釈を批判した。当時の一般的な解釈では、道隠らの解釈が正当であった。

 

上記事例などを踏まえ、三栗氏は今後、三業惑乱を本山(三業派)VS在野(非三業派)としてのみ捉えるのではなく、さらに周辺に派生した問題を含めて精査する必要があると指摘した。

 

(左)万波氏 (右)三栗氏

 

会場の様子

 

会場の様子

 

 

 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター、特定公募研究「大瀛『横超直道金剛錍』の研究」
ポスター
チラシ「近世後期における知の集積と思想交流」

【開催報告】2020年1月29日(水)研究セミナー「親鸞における本地垂迹と神祇不拝」を開催しました

開催日時
2020年1月29日(水)13:15~15:00
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講演者

※※※※※※※※※※※※※※

2020年1月29日、佐藤弘夫氏(東北大学名誉教授)による研究セミナー「親鸞における本地垂迹と神祇不拝」が開催された。佐藤氏は、日本中世には神仏をめぐり、認知不可能な「あの世」の神(本地)と、認知可能な「この世」の神(垂迹)が存在したこと解説した。その上で当時、一般の人々が認知可能な身近な垂迹神に帰依するなか、親鸞が本地の媒介者たる垂迹神に対して救済者としての要素を一切認めなかった点に、親鸞独自の信仰体系が見られることを論じた。以下、講演の概要である。

親鸞が生きた11~12世紀には、神と仏の明確な区分は存在しなかった。区分があるとすれば、それは「認識できる存在」と「認識できない存在」であり、親鸞自身も、こうした中世の神観念を共有していたと考えられる。
当時の浄土往生思想では、往生にあたって「垂迹―神」の後押しを受けるのが通例であった。仲介者たる神は、認識できない本地ではなく、認識可能な仏像や聖者、そして神であった。親鸞の聖徳太子観を紐解けば、こうした垂迹思想自体を否定していないことは明白である。ただし、浄土往生のために垂迹思想を用いることは決してなかった。この点が同時代の中世人と親鸞との決定的な違いである。

講演を受けて、杉岡孝紀氏(龍谷大学農学部教授)がコメントを行った。杉岡氏は、従来、真宗の神祇観は「不帰依」と「護念」という二つの立場があるという理解で止まっていた。そのため、佐藤氏が論じた垂迹思想に基づき、親鸞浄土教の神祇観も再考する必要があると指摘した。さらに、親鸞浄土教では「浄土から戻って来る」という還相や化身という思想がある。この親鸞思想と垂迹思想の関係をどう捉えるべきかを尋ねた。これに対し、佐藤氏は思想上の親和性だけ見れば、関係するように思える。ただ、親鸞は果たして法然を拝んだのか。当時の垂迹思想の特色には、祈願する対象であったことも挙げられる。そうした観点から考えれば、垂迹思想とそのまま連結させることは難しい。むしろ、そこに親鸞の独自性もあるのではないか、と応答した。その後、参加者からも多数の質問がなされ、中世における聖徳太子をめぐる位置づけや、法然の神祇観についてなど、親鸞に限らず、幅広い議論と問題点が抽出され、講演会は終了した。

 

佐藤氏(中央)

 

コメンテーターの杉岡氏

 

司会の玉木氏

 

会場の様子

 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)親鸞浄土教総合研究班 真宗善本典籍研究プロジェクト
ポスター
研究セミナー案内チラシ「親鸞における本地垂迹と神祇不拝」

【開催報告】2020年1月30日(木)研究セミナー「真宗私塾の僧侶養成―豊前の社会派僧侶誕生の舞台裏ー」

開催日時
2020年1月30日(木)17:00~18:30
開催場所
龍谷大学大宮学舎 西黌2階大会議室
講演者

※※※※※※※※※※※※※※

2020年1月30日、菊川一道(当センター博士研究員)による研究セミナー「真宗私塾の僧侶養成―豊前の社会派僧侶誕生の舞台裏」を開催した。菊川は、真宗系の私塾について、一般的な私塾の歴史的変遷や実態を踏まえつつ発表した。特に豊前の真宗私塾である東陽学寮に着目し、当寮が社会的な僧侶を多数輩出した背景に、東陽円月という塾長の影響があったことを論じた。以下、講演の内容である。

従来、真宗思想史研究の対象は「能化」や「勧学」、「教授」など、学僧や教団政治家に偏重してきた。かかる研究態度は各時代の最先端の議論を詳らかにしてきた一方、各地の一般僧侶や大多数の信徒の日常と真宗信仰との関わりを論じ切れていないという課題を残してきた。そうした課題克服を目的に、地域レベルから仏教を再考すべく着目したのが「私塾」である。
私塾は、江戸から明治・大正期にかけて1500校ほど存在した。主に武士階級に限定されていた藩校とは異なり、私塾は学ぶ者の身分や出身地を問わず、教育方針も自由であった。仏教系私塾については未解明の点が多いが、真宗私塾は少なくとも100校以上存在した。その詳細についてはそれぞれの私塾が有していた「学則」に着目することで窺い知ることが出来る。
真宗私塾の多くは、三業惑乱以降の能化制度の崩壊や安心研究の周密化、自由討究の公認化などを背景に誕生した。なかでも興味深い事例が豊前(現大分県)の私塾「東陽学寮」である。嘉永3(1850)年に創設され、東陽円月(1818-1902)の時代に発展した東陽学寮は、後に龍谷大学教授となる雲山龍珠や杉紫朗をはじめ、ハワイ開教の開拓者である曜日蒼龍、仏教済世軍の真田増丸、詩人の中原中也などを輩出した。他にも当学寮では社会実践に関与する門下が同時多発的に養成された。背景には、棄て子やハンセン病患者の救済、地域の干拓事業に携わった指導者円月の影響があった。
激動の近代において、国家奉仕を通して真宗教団の存在感を高める狙いがあった円月は、独自の「滅罪論」や「真俗二諦」を構築し、真宗の有用性を宗門内外へ説いた。そうした態度は社会派僧侶の養成に成功したものの、彼らの活動は常に国家主義的問題を内包するものであった。また、「人間の煩悩罪障は信心獲得後に断滅し、善が生じる」と説くことで、社会実践の根拠を導出しようとした円月の思想は、教団内で物議を醸すこととなった。
菊川氏は、独自の調査を通して入手した新出資料などを紹介しつつ、円月の知られざる異安心疑義事件の真相についても明らかにした。講演後、研究代表者の深川宣暢氏(龍谷大学教授)から、円月自身が社会性を帯びた背景などについて質問がなされた。菊川氏は、円月の修学経路などに言及しつつ、実学を重視する豊前の関学塾の影響などを紹介しつつ応答した。その他にも、私塾の財政基盤などについての質問がなされるなど、盛況のうちにセミナーは終了した。

 

講師の菊川一道氏

 

司会の内田准心氏(龍谷大学講師)

 

開催挨拶をする深川宣暢氏(龍谷大学教授)

 

 

 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)、親鸞浄土教総合研究班 真宗学研究プロジェクト
ポスター
研究会案内チラシ「真宗私塾の僧侶養成」

【開催報告】2020年1月21日(火) 研究セミナー「唯識思想と六波羅蜜」

開催日時
2020年1月21日(火) 16:00~17:30
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 清風館B-102教室
講演者

高橋 晃一氏(東京大学 准教授)

 

2020年1月21日(火) 研究セミナー「唯識思想と六波羅蜜」が開催された。今回、高橋氏にとって、関西での講演は初めてであり、本学にとっても記念すべきものである。

 

高橋氏は弥勒菩薩像、無著菩薩立像、世親菩薩立像の写真、さらには随時、図式を用いながら、まずは唯識思想と瑜伽行派について基本的説明から進められた。瑜伽行派は大乗仏教の二大潮流の一つであり、その瑜伽行派の思想を唯識思想と呼ぶものである。唯識あるいは唯識性はvijñapti-mātratāと呼ばれ、認識の結果により見えているものであり、現代語で言えば「表象のみ」と訳せる。例えば、人間が二人いて、ある物体がリンゴに見えるか、サクランボに見えるかというものである。『唯識二十論』における喩えでは、地獄の衆生は、川の流れを糞尿が流れていると見るのに対して、清らかな目で見ている場合は、清らかな川の流れに見えるというものである。要は、同じものを見ていても、違うものに見えるというものが唯識思想の特徴である。そして、もう一つは外界の対象が実在しないにも拘らず、認識が生じることである。例えば、記憶を想起する時、あるいは夢を見ている時がこれに該当する。さらに、瑜伽行派が瞑想体験の中で、実在しない対象を完全に現出させることを行なっていることなどを明確に説明された。

 

高橋氏は、唯識思想において主に研究対象とされてきたのは、三性説と八識説が中心であったが、捨象されてきた部分がある点を指摘された。その一つの例として『解深密経』を挙げ、その成立過程の学説に問題があったと述べられた。中でも、シュミットハウゼン氏との意見交換では、自らの解釈とは異なっていたというエピソードを語られた。この他に、先行研究を紹介しながら唯識思想における他者の存在、あるいは他者との関係をどう捉えるべきなのかという問題が、瑜伽行派においてどの程度議論されてきたのか不明であるとされた。『摂大乗論』を見る限りでは、どのように他者の存在を捉えるかということが、一つのテーマと成り得るのではないかということにも言及された。「六波羅蜜を考える」ということが、今回のテーマの背景にあるテーマであり、六波羅蜜を考えることが他者を考えることではないか、ということを本講演の結論とされた。

 

コメンテータの若原雄昭氏(龍谷大学文学部教授)からは今回、高橋氏に紹介された自身の論文が、高橋氏と同じ問題意識を持っていたことなど、好意的な見解などを述べた。質問時には、聴講者から活発な発言もあり、盛会の内に幕を閉じた。

 

司会の早島慧氏(龍谷大学文学部 講師)

 

高橋 晃一氏(東京大学 准教授)

 

若原雄昭氏(龍谷大学文学部 教授)

 

会場の様子

 


 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)、基礎研究部門特定公募研究(共同):アビダルマの大乗的展開の研究
ポスター
20200121高橋晃一先生研究セミナー

【開催報告】第2回研究会「イスラームのズィクル(唱念)と仏教の念仏の比較考察」を開催しました。

開催日時
2019年11月26日(火)13:15~16:30
開催場所
龍谷大学 深草キャンパス 和顔館201号室
講演者

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【内 容】

世界仏教文化研究センター基礎研究部門特定公募研究(共同)「イスラームのズィクル(唱念)※と仏教の念仏の比較考察」第2回研究会が2019年11月26日(火)に、深草キャンパス和顔館201号室で開催されました。同研究会では、多数の学生らが聴講する中、佐野東生・本学国際学部教授(本研究代表・イスラーム研究)、井上善幸・本学法学部教授(本研究共同研究者・仏教思想)、ジャーファリー・コム宗教大学専任講師(国際学部非常勤講師・シーア派思想)が研究発表しました。

 

佐野氏の発表では、イスラームにおけるズィクルの発展過程について、クルアーン、カリフ・アリー(シーア派初代イマーム)の言葉、そしてイスラームの代表的神秘主義者・ルーミーの伝記などから関連箇所を示し、特に唯一神アッラーの「想起」から、神との合一を目指す神秘主義の行法への変容を見ました。質疑では、念仏の理論化との比較でイスラーム神学者ガザーリーらによるズィクルの理論化について説明されました。ジャーファリー氏の発表では、イスラームと仏教の臨終の祈りが比較され、前者はアッラーの御名を唱えるズィクルによって天国が約され、後者は浄土教大成者・善導らの説で念仏を唱えることで弥陀の本願力により悪魔の妨害が防がれ往生が約されるとの類似点が指摘されました。

 

次に井上氏の発表では、浄土系仏教における「妙好人」などの歌に見られる念仏の神秘主義体験的側面を基に、念仏をめぐる「機法一体」、すなわち衆生と仏の一体化の思想を論じた上で、親鸞思想においては、念仏とは弥陀の本願が届いた姿であり、生ある間、衆生は念仏によって弥陀に救われるが、煩悩ある身として弥陀との一体化はない、との説明がなされました。総じて本研究会では、ズィクルの基本的理解とともに、神秘主義的観点からの念仏との共通点、相違点が示されたことが成果といえます。

 

※本研究会より、当初本研究の題目にあった「ディクル」との表記を、「ズィクル」とより一般的表記に変更することとしました。

 

佐野東生氏

 


ジャーファリー・アボルガーセム氏

 


井上善幸氏

 

会場の様子

 

主催
2019年度 世界仏教文化研究センター 基礎研究部門特定公募研究
ポスター
案内用チラシ

【開催報告】2019年11月22日(金)研究会「蘆庵本の歌書について―近世中後期における古写本収集の潮流―」を開催しました

開催日時
2019年11月22日(金)14:00~15:30
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講演者

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2019年11月22日、研究会「蘆庵本の歌書について―近世中後期における古写本収集の潮流」を開催した。当センター古典籍資料研究プロジェクト「龍谷大学図書館蔵蘆庵本歌合集の研究」では、龍谷大学図書館を含む日本国内の所蔵機関に収蔵されているすべての写本群を調査し、書誌的事実や歌合資料としての本文的価値を明らかにすると共に、小沢蘆庵の書写活動の実態と詠歌・著作活動との関係について研究を行っている。加藤弓枝氏(鶴見大学文学部准教授)が講師を務めた本研究会は、上記プロジェクトの一環として開催された。

小沢蘆庵(1723-1801)は江戸時代中期に京都に住み、平安和歌四天王の一人に数えられた著名な歌人/国学者である。小澤蘆庵及びその門人が書写した膨大な歌合写本群は、歌合研究にとって重要な伝本群であるにもかかわらず、その全体像は未だに解明されていない。

発表では、刈谷文庫蔵の小沢蘆庵の歌合写本(刈谷本)と村井古巖(1741-1786)による奉納本の神宮文庫所蔵の写本(神宮本)の関係に焦点があてられた。従来、神宮本は刈谷本の底本であるとされてきた。しかし加藤氏は、刈谷本と神宮本の異同、朱書の校異や註記等を丹念に検証し、これらの写本の関係性についての新たな可能性を提示した。つまり、刈谷本と神宮本は底本・写本関係にあるのではなく、同じ底本を共有するのだという。加藤氏は、両写本の底本は未だ不明であり刈谷本が神宮本の直接の写しではないと断定するには更なる調査が必要であると慎重な姿勢を見せながらも、刈谷本と神宮本は同時期に同じ底本を借りて作成された可能性が非常に高いと指摘した。

刈谷本を作成した小沢蘆庵と神宮本を作成した村井古巖は共に同時代を生き、京都で書写活動を行っていた。もし小沢蘆庵がある底本をどこかから借りて写し、同じ底本を村井古巖が借りて写したとしたら、歌合写本群は当時の書写活動や文化人たちの交流などを垣間見る手掛かりとなる。刈谷本と神宮本の検証を通して、文学史・和歌史的な重要性だけでなく、文化史をひも解く貴重な資料としての歌合写本群の側面が示された。

 

講師の加藤由枝氏

会場の様子

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研究会

蘆庵本の歌書について―近世中後期における古写本収集の潮流―

加藤弓枝

(鶴見大学准教授、龍谷大学世界仏教文化研究センター客員研究員)

 

 

 

司  会  安井 重雄(龍谷大学文学部 教授)

開催日時  2019年11月22日(金)14:00~15:30

開催場所  龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室

 

※一般来聴歓迎。お気軽にお越しください。

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)
ポスター
研究会「蘆庵本の歌書について―近世中後期における古写本収集の潮流―」

【開催報告】2019年10月2日(水)公開研究会「日本中世における高麗義天版の受容と活用―華厳学文献を中心に―」を開催しました

開催日時
2019年10月2日(水)16:00~17:30
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講演者

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2019年10月2日(水)、公開研究会「日本中世における高麗義天版の受容と活用―華厳学文献を中心に―」が開催された。講師の申回貞氏は、本学の世界仏教文化研究センターの嘱託研究員であり、韓国・東国大学校の講師も務めている。

 

申氏は、高麗の大覚国師義天(1055-1101)が作成した『圓宗文類』と『新編諸宗敎藏總錄』を対象にして、日本中世仏教において、彼の教蔵収集と刊行、流通がどのように受容され、活用されたのかを検討した。その際、『圓宗文類』の注釈書である『圓宗文類集解』も併せて考察された。

 

一般的に義天が『新編諸宗敎藏總錄(義天板教蔵)』や『圓宗文類』を作成した背景には、中国五代の戦乱によって失われた古今の仏書典籍が流通できない状況下で、仏法衰頽への懸念があったとされ、こうした義天の護法意識が古今諸家の章疏を収集し刊行させたといわれる。しかし申氏は、上記の事情に加えて、東アジアの大乗仏教文化圏における教理大系の構築に関する問題関心があったと指摘した。

 

申氏が着目したのは、「義天板教蔵」の刊行をきっかけに、すでに東アジア全域に請来していた澄観(738-839)の『華厳経疏』『華厳経随疏演義抄』が再び注目を集めたことである。注釈書『圓宗文類集解』を参照すると、『圓宗文類』には法蔵『華厳経探玄記』が集約されており、その『探玄記』の設問に対して、法蔵と澄観の説示を照合しながら応答している様子が見られ、そのうえで、華厳の教理が思想的に整理されているという。こうした点から、義天の著作が当時の宗学研究において教理大系と思想を構築する重要な情報を提供していたと考えられる。そのため、義天が二つの著作を作成した背景に東アジアの大乗仏教文化圏からの要請があったのではないかと推察された。

 

また、中世日本仏教においても、義天の著作が遼代密教の思想的限界を克服するために活用されていること指摘された。中世日本仏教では顕密融合の理論的体系を完成するために、兼学のテキストが必要であり、こうした点は遼代の密教文献では十分ではなかった。そのなかで、『圓宗文類集解』を確認すれば、義天の著作にはそうした問題へ対応可能な側面があったため、日本仏教において広く受容され、影響を与えた。申氏によれば、特に日本中世仏教の特徴である「本覚思想」が、『圓宗文類集解』において確認できるという。だが、その具体的な影響に関しては今後の課題であると述べられた。

 

当日は、コメンテーターの横内裕人氏(京都府立大学教授)より、申氏の研究の可能性についてコメントがなされた。横内氏によると、11~12世紀末における日本仏教界は、大陸より文献が数多く輸入をされていたが、現在活字になっている状況証拠からは十分な影響が確認できないという。そのなかで、『圓宗文類集解』の教理内容から、教学的なつながりに注目した申氏に対し、それを裏付けるような資料調査やそれに基づく研究の進展が期待された。

 

講師の申回貞氏

 

司会の野呂氏(左)
コメンテーターの横内氏(右)

会場の様子

公開研究会

日本中世における高麗義天版の受容と活用

―華厳学文献を中心に―

申   回   貞(SHIN Hoijung)

(韓国・東国大学校講師、龍谷大学世界仏教文化研究センター嘱託研究員)

 

 

コメンテーター  横 内  裕 人(京都府立大学 教授)

司     会  野 呂 靖   (龍谷大学 准教授)

 

開 催 日 時  2019年10月2日(水)16:00~17:30

開 催 場 所  龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室

 

 

※日本語で行われます。申し込み不要、一般来聴歓迎。

 

 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)古典籍・大蔵経総合研究班 大蔵経研究プロジェクト
ポスター
公開研究会「日本中世における高麗義天版の受容と活用―華厳学文献を中心に―」

【開催報告】2019年9月19日(木) 研究会「日本仏教学におけるインドと近代化―南条文雄から泉芳璟まで―」「日本仏教の西洋進出―東陽円月とその門下を中心に―」を開催しました

開催日時
2019年9月19日(木)15:00~16:30
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講演者

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研究会

発表1「日本仏教学におけるインドと近代化―南条文雄から泉芳璟まで―」

Paride Stortini

(龍谷大学世界仏教文化研究センター 嘱託研究員、シカゴ大学大学院 博士課程)

 

発表2「日本仏教の西洋進出―東陽円月とその門下を中心に―」

菊川 一道(龍谷大学世界仏教文化研究センター 博士研究員)

 

司会・コメンテーター 嵩 満也(龍谷大学 国際学部 教授)

 

(左から)菊川氏、Paride氏、嵩氏

 

 

 


 

 

 

2019年9月19日、Paride Stortini氏(龍谷大学世界仏教文化研究センター 嘱託研究員、シカゴ大学大学院 博士課程)と菊川 一道氏(龍谷大学世界仏教文化研究センター 博士研究員)による公開研究会が開催された。

 

Paride氏は、「日本仏教学におけるインドと近代化―南条文雄から泉芳璟まで」と題して、明治から大正期にヨーロッパに留学した南条文雄(1849-1927)とその弟子・泉芳璟(1884-1947)に着目し、彼らが導入したサンスクリット語学や仏教学など、「インド」に関する多様な知識や経験が近代日本仏教へ与えた影響について分析した。

 

明治以降、ヨーロッパの大学へ留学して最先端の学問を学び、帰国後に近代仏教学の発展に貢献した僧侶が多数存在した。言語学や比較宗教学の権威として高名いオックスフォード大学のMax Müller(1823-1900)に師事した南条文雄は、その代表的人物として知られる。Paride氏によれば、宗教の神話的・迷信的側面を除去すべく宗教改革をめざしていたMüllerは、南条や高楠順次郎(1866-1945)などの日本人留学生に対して、インド仏教の知識を授けることで、日本仏教も改革できると考えていた。

 

留学を終えた南条は、Müllerに学んだサンスクリット語や仏教学を駆使し、国内で大乗非仏説論やキリスト者からの浄土教批判に応答した。インド学に基づく近代仏教学の習得は、結果的に経典研究を飛躍的に向上させるだけでなく、自身の信仰を外敵から守る護法的役割を果たした。

 

他方、イギリスのサンスクリット学者Arthur MacDonnell(1854-1930)のもとで学んだ泉芳璟は、南条よりもインドに長期間留学できたことで、語学のみならず民俗学や自然史など幅広い知識を習得した。帰国した泉は大谷大学でインド学の教鞭を執りつつ、サンスクリット語関連の入門書を出版するなど、南条にも増してMüllerの期待に応えた。

 

注目すべきは、西洋のインド学がイギリスによるインドへの植民地主義に基づいていることを泉が喝破した点にある。泉によれば、近代科学が西洋で発展するより前に、古代インド文化は独自に発展し、教学や天文学などの独自の科学が誕生したとされる。したがって、本来、インド文化は西洋から独立しているため、日本人はインド学を通して近代西洋科学とは異なるより深く多様な知識を習得できると泉は考えていた。このように、インド学は西洋から輸入された学問であったけれども、一方で西洋に由来しない未知の知見を近代日本仏教にたらしたのである。この点は泉が述べた仏教に対する国家主義的な見解とも関連する。

 

質疑応答では、泉のインド経験とインド学の習得法、そして彼のMüllerの期待への応え方に関して問われた。泉のインド経験と印度学の学び方についての回答として、Paride氏は泉のイギリスでの研究状況と師匠MacDonnellとの関係についてより詳しく述べ、サンスクリット文学、特にカーマスートラ研究に影響を与えたことも紹介した。最後に、泉がサンスクリット語の教科書を出版し、また大谷大学での教育に貢献した事実から、Müllerの期待へ応えたと考えられると答えた。

 

 

続いて「日本仏教の西洋進出―東陽円月とその門下を中心に―」と題して菊川氏が発表した。菊川氏は、19世紀末に始まる日本仏教の西洋進出に「視察」「留学」「開教」という段階があったことを紹介しつつ、教団公式開教に先立ち実施された東陽円月(1818-1902)門下の私的なハワイ開教の実態とその背景について論じた。

 

日本仏教の本格的な西洋との接触は、明治5年、東西本願寺の関係者がヨーロッパへ渡航したことに端を発する。彼らは欧州の最新事情を学ぶことを目的とした「視察組」と、ヨーロッパのトップ大学で学問を志す「留学組」に分けられる。これらの背景には、優秀な人材を欧米列強へと派遣して、最先端の知見や学問を習得させることで、仏教の近代化を図ろうとする仏教界の狙いがあった。

 

視察と留学の時代を経て、仏教教団が本格的に「開教」に乗り出すのは明治20年代後半、ハワイでのことだった。だが、それ以前、非公式にハワイへと赴いた曜日蒼龍(1855-1917)という僧侶がいた。大分県出身の曜日は、当時の新聞雑誌を通して、ハワイで苦悩する日本人移民の存在を知り、単身ハワイへと渡った。

 

興味深いことに、曜日は将来的に師匠である東陽円月の門下を中心にハワイ開教を展開したいと考えていた。菊川氏は、当時の真宗には「海外宣教会」や「真宗青年伝道会」など、海外との交流に関心を寄せる結社が存在したにもかかわらず、曜日が東陽門下に期待を寄せた背景には、彼らと思想や信仰、行動規範を共有するところが多く、開教を順調に進めるには最も有効な戦略だと考えたためであろうと分析した。

 

東陽門下には現実社会の諸問題解決に積極的に携わろうとした僧侶が同時多発的に誕生しており、曜日蒼龍の非公式ハワイ開教もそうした動向の一つと捉えることが出来る。と同時に、そうした社会派・国際派の僧侶が育成された背景に、自身も社会派であった東陽円月の生き様とユニークな真宗教学があったことを菊川氏は指摘した。「日本仏教と西洋」の問題は、教団派遣による視察や留学経験をもつエリート僧を中心に描かれる傾向が強いが、実際には地方の伝統寺院に拠点を置き、中央の英才教育とは無縁の僧侶によって行われた海外進出があったのである。

 

質疑応答では、曜日のハワイ開教に仏教西洋化の要素が見られるかについて問われた。これに対して菊川氏は、曜日らの開教対象が日本人移民に限定されていた事実や、また彼らには外教国の最前線でキリスト教による日本人教化を阻止したいという思惑があったことなどを紹介した。その上で、東陽門下の西洋進出は結局のところ、日本国内の問題解決に意識が向けられており、西洋化の問題は教団公式開教後の今村恵猛(1868-1932)などの時代を待たねばならなかったと応答した。

 

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター
共催
龍谷大学アジア仏教文化研究センター
ポスター
研究会PDF

【開催報告】 研究会「社会の中の仏像」を開催しました。

開催日時
2019年8月5日(月)15:00~16:30
開催場所
龍谷大学大宮学舎 西黌2階大会議室
講演者

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研究会  「社会の中の仏像 〜 陶磁家、柴山清風と彫刻家、芝良空を中心に 〜」

 講 師     君島 彩子(駒澤大学仏教経済研究所研究員)

 司 会     野呂 靖(龍谷大学文学部准教授)

コメンテーター    大澤 絢子(大谷大学真宗総合研究所PD研究員)

コメンテーター    亀山 隆彦(龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員)

 

 

 

講演者の君島彩子氏(右)と司会者の野呂靖先生(左)

 

 

 

 

 

コメンテーターの大澤絢子氏(右)と亀山隆彦氏(左)

 

 

 

2019年8月5日、公開研究会「社会の中の仏像―陶磁家、柴山清風と彫刻家、芝良空を中心に」が開催された。講師の君島彩子氏は、これまで美術史を中心に行われていた仏像研究に対し、仏像を「物質文化」と捉えてアプローチされている。君島氏によると、仏像は近代以降、芸術や文化財として定着し研究対象となっていくが、その多くが様式研究に偏重し、信仰的役割についての検討はほとんどなされていない。そのうえで、地道なフィールドワークと時代状況の把捉、仏像に関わる人物たちをより広く捉えることで、仏像を信仰することの社会的意義を模索する必要があると指摘した。こうした問題意識に基づき、近現代の芸術家の柴山清風(陶磁家)と芝良空(彫刻家)の仏像制作活動について講演された。なお、これらのご研究は2019年に涙骨賞を受賞した論文「現代の「マリア観音」と戦争死者慰霊―硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島の事例から」にも含まれているが、今回の講演ではさらに多くの画像資料などと併せてご紹介いただいた。

柴山清風は十五年戦争をまたぎ、数多くの観音像を手掛けた。柴山自らが発願した千体観音像は、B級戦犯として知られる松井岩根など当時の有力者を含む多数の人物から求められた。柴山の観音像の特徴は、陶磁製ということの他に、一面二臂の観音像があまり結ぶことのない合掌印であるという。十五年戦争期、浅草寺を中心に世界平和を願う観音信仰運動が起こっていたが、それは国策と結びついた「大東亜」という理念に基づいたものであった。合掌する柴山の観音像は、「興亜観音」と称され、五本の指が合わさることで「五族共存」の象徴とされていた。このように時代状況と重なり、経典などに説かれる観音イメージとは異なった意味合いが込められていたのである。柴山は敗戦後も合掌する観音像の制作を続けた。しかし、戦後の合掌印の観音像は、戦災犠牲などに対する慰霊や祈りの象徴などとしての役割を果たすようになっていくこととなる。こうした点に仏像が果たす社会的機能があると君島氏は指摘する。つまり、同じ仏像であったとしても、社会状況や仏像に関わる人々によって、その意味合いが変化していくのである。

六甲山のみよし観音像の制作者として知られる芝良空は、十五年戦争中には名古屋の高射砲台に配属されていた。常に空襲の危険に晒され被害に直面するという過酷な戦争体験が後の観音像制作活動へとつながることとなる。敗戦後、芝は平和に対し強い関心をもち、1970年代に海外への自由渡航が可能になると、戦跡巡拝を行なった。そして、サイパンやグアムで亡くなった人々のために木製の観音像を彫り上げた。注目すべきは、この観音像は「マリア観音像」と称されるように、キリスト教の象徴である聖母マリアと、仏教の観音が重ね合わされていたという点である。その上、開眼供養は宗派に属さない超宗派で行われ、法要は宗派を超えて勤修された。君島氏は、このように物が先行することで、宗教や宗派を超えた信仰が形成される事例を通して、「物質としての仏像」が持つ社会的機能を示された。

君島氏は、以上の二人の芸術家の具体的な活動を通して仏像にまつわる信仰を社会的に位置付けながら、いかに仏像の造形性が重要であったのかを示した。仏像は教義を単に視覚化したものではなく、物質としての存在感を持っている。だからこそ、多様な意味づけが可能になり、信仰者による造形イメージの共有によって、仏教経典に縛られない新たな宗教性が醸成されていくのだとまとめた。

講演後、コメンテーターの大澤絢子氏は、近現代の信仰対象の造形として仏像が選ばれたのはなぜか、また、数多くの仏菩薩の中でも観音像が最も頻繁に作られたのはなぜなのかなど質問した。それに対し、君島氏は日本において信仰対象とする造形のほとんどが仏像であったことが関係するのではないかと回答された。また、観音が重宝された理由としては、観音は衆生を救うために33の姿に変化するといった経典の記述や超宗派性があるのではないかと応答した。

もう一人のコメンテーターの亀山氏は、アルフレッド・ジェルなどの著書に基づき、理論的な枠組みのなかで、説明することも可能ではないかと提案された。君島氏は、理論的な枠組みや抽象的な議論も重要であるとした上で、造形がもつ社会的役割の動態を明らかにするためには、地道なフィールドワークが必要不可欠であるという面を強調した。また、現実社会の中に現れた信仰と向き合い、理論ではこぼれ落ちてしまう個々の現実問題に発言していくことが、研究者に求められる姿勢であると考えていると返答された。

 

 

 

会場の様子

 

 

 

 

 

登壇者の皆様

 

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター 基礎研究部門特定公募研究(共同研究) 「日本における仏教文化と聖者像に関する総合的研究」(代表:野呂靖)
ポスター
公開研究会ポスター

【開催報告】研究会「持律者と結界―ハーバード大学美術館所蔵「聖徳太子像」の納入文書(二衣篇)―」を開催しました。

開催日時
2019年7月26日(金)17:00~18:30
開催場所
龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室
講演者

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研究会

持律者と結界

―ハーバード大学美術館所蔵「聖徳太子像」の納入文書(二衣篇)―

王   星   逸(WANG Xingyi)

(龍谷大学世界仏教文化研究センター嘱託研究員、ハーバード大学大学院博士課程)

講演者の王星逸氏

 

阿部泰郎氏(左)と道元徹心氏(右)

会場の様子

 

2019年7月26日(金)、王星逸氏(当センター嘱託研究員、ハーバード大学大学院)による研究発表「持律者と結界―ハーバード大学美術館所蔵「聖徳太子像」の納入文書(二衣篇)」が開催された。

 

ハーバード大学美術館所蔵の「二歳像」と称される聖徳太子像は、太子2歳時の姿をふくよかな子どもの等身大の像として表現している。鎌倉時代の仏像の特徴をよく表した臨場感あふれるこの作品は、1292年頃に制作されたと考えられている。胸の前で合わせられた両手の左掌には蓮の実の形をした穴が開いており、聖徳太子が東に向かって手を合わせ「南無仏」と唱えると手の掌から舎利がこぼれおちたという伝説を表す。特に注目すべき点は、胎内に経典、仏像、舎利、結縁状、印仏など70もの胎内納入品が納められていることである。各宗派が多様な教義を受容していたという当時の仏教界の傾向を反映し、胎内納入品には密教信仰、阿弥陀信仰、戒律学など様々な要素が混じり合っている。さらに、南宋時代に刊行された法華経など大陸とのつながりを示唆するものもある。

 

これらの胎内納入品は初期の研究者によってリスト・分類化されている。しかしながら、王氏はリストの名称のみから納入品の共通点を見出そうとするのは危険であるとの立場から、胎内納入品の内容・情報を細かに精査し、比較・対象させたうえで考察すべきであると指摘する。今回の発表では、聖徳太子像の胎内納入品の一つである『二衣篇』に注目し、その精読から、西大寺派教団の叡尊及び叡尊一派と密接な関わりがあることを明らかにした。

 

『二衣篇』は唐代の僧・道宣撰述の戒律に関する仏教用語解説書である。本書には、道宣以後の中国の戒律注釈に関する記述も含まれており、日本中世の学僧にとっての手引書のようなものだという。タイトルの「二衣」とは、制教(仏が定めた禁止事項)と聴教(便宜上許される法)を意味している。『二衣篇』で展開される議論は、当時の学僧がどのような戒律に注目し、どのように研究し、そして教義と現実に折り合いをつけようとしたのかについて知る上で重要な資料である。

 

王氏は、『二衣篇』の具体的な事例を紹介しながら、道宣の撰述書がどのような註釈書に依って再解釈されていったのかを丹念に描き出した。その中で、叡尊などによる戒律復興運動と密接な関わりのある教学の要素や姿勢が註釈文に表われていることを示した。また、三種結界(僧侶や相談の行動範囲、報復の着用、食べ物を作る場所の制限)についての解釈において、叡尊や叡尊の弟子の忍性を指すような、あるいは意識するような人物に言及されていることなどを示した。

 

ディスカッサントの阿部泰郎氏(龍谷大学教授)は、ハーバード大学美術館蔵の聖徳太子二歳像は、叡尊の三回忌のために制作されたのだと以前から考えており、結果的に王氏の研究が阿部氏の議論を支持するものとなった。阿部氏は、王氏も発表中に言及した「西大寺の古長老(故長老)」という記述に注目し、『二衣篇』において叡尊の死が意識されている重要性について再度指摘した。質疑応答では、王氏が扱った『二衣篇』について、「当時の学僧のリアルな発言が興味深い」、「高僧についての伝説的言説がどのように成立していったのかについて遡ることのできる資料として貴重である」、などといったコメントが寄せられた。

 

 

 

 

司  会      道 元   徹 心(龍谷大学 理工学部  教授)

ディスカッサント  阿 部   泰 郎(龍谷大学 文学部   教授)

 

開催日時      2019年7月26日(金)17:00~18:30

開催場所      龍谷大学 大宮学舎 西黌2階 大会議室

 

※本講演会は日本語で行われます。申し込み不要、一般来聴歓迎。

 

主催
龍谷大学世界仏教文化研究センター(RCWBC)
共催
龍谷大学アジア仏教文化研究センター(BARC)
ポスター
研究会「持律者と結界―ハーバード大学美術館所蔵「聖徳太子像」の納入文書(二衣篇)―」

【2019年6月29日(土)】研究会のご案内「イスラームのディクル(唱念)と仏教の念仏の比較考察」

開催日時
6月29日(土)13時~15時50分
開催場所
龍谷大学深草キャンパス 和顔館会議室2 ※当初、「会議室1」と案内がありましたが誤りでした。
講演者

   世界仏教文化研究センター特定公募研究(共同)

「イスラームのディクル(唱念)と仏教の念仏の比較考察」

 

参加者 佐野東生(龍谷大学国際学部教授)

            嵩   満也(龍谷大学国際学部教授)

 

講演者① 井上善幸(龍谷大学法学部教授)

テーマ 「親鸞にいたる念仏思想の系譜」

仏教、とりわけ浄土教の伝統において、称名念仏は主要な行である。しかし、称えるという行為と念ずるという行為の関係、そもそも称名を行と見なしうるのか、行であるとしてそれが主であるのか、あるいは補助的なものか、など、称名念仏の思想史には様々な注目すべき議論がある。今回の発表では、称名念仏思想に向けられた論難や、浄土教思想内の解釈の諸相を概観し、親鸞思想における称名念仏の意義について論じる。

 

講演者② アボルガセム・ジャーファリー(コム宗教大学専任講師)
テーマ 「イスラームと仏教の比較考察」

 

当日予定 

100分~110分 佐野(研究代表)あいさつ、主旨説明
1時10分~200分 井上講演「親鸞にいたる念仏思想の系譜」 

200分~210分 嵩コメント
210分~220分 質疑応答
220分~230分 休憩
230分~320分 ジャーファリー 講演「イスラームと仏教の比較考察」
320分~330分 嵩コメント
330分~340分 質疑応答
340分~350分 佐野閉会の辞

※当初、添付チラシに開催場所について「和顔館会議室1」と記載がありましたが、正しくは「会議室2」です。

 

ポスター
研究会「イスラームのディクル(唱念)と仏教の念仏の比較考察」_