2020年11月25日 朝日新聞 「祈り繰り返す修行 僧侶が解説」 が掲載されました。
2020年に出版されました『修二会 お水取りと花会式 聖地に受け継がれし伝灯の法会』(世界仏教文化研究センター基礎研究部門長 楠淳證編)は朝日新聞にて取り上げられています。
今回、朝日新聞の「近畿ほんのとびら」で紹介されたその本は、「龍谷大学アジア仏教文化研究センター 文化講演会シリーズ」の第3巻です。
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本年6月に龍谷大学を会場に予定されていました第8回『歎異抄』ワークショップは、コロナウィルスの影響が収束まで一時中断の決定がなされました。
次回ワークショップにつきましては、国内外の状況を見極めつつ、再開の目途が立ち次第、本ホームページ等でお知らせいたします。
龍谷大学世界仏教文化研究センター
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2020年3月7日から8日(日)にかけて、カリフォルニア州のJodo Shinshu Centerを会場に第7回『歎異抄』ワークショップが開催された。
本ワークショップは、学術交流協定を結ぶ大谷大学真宗総合研究所と米国カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所、龍谷大学世界仏教文化研究センターの三研究機関が主催するもので、今回で7回目となる。この度も円智『歎異抄私記』(1662年)・寿国『歎異抄可笑記』(1740年)・深励『歎異抄講義』(1801-8年)・了祥『歎異抄聞記』(1841年)という四つのテキストごとに班にわかれ、各註釈書の精読と英訳作業が行われた。
今回はコロナウィルスの世界的感染拡大の影響により、日本からの多くの参加者が渡航を断念した。そのため、ワークショップは当初予定を大幅に変更し、日本国内からの参加希望者のために急遽ネットワークシステムを導入しての開催となった。また研究発表等についても中止となった。
尚、次回のワークショップは2020年6月、龍谷大学を会場に行われる予定である。
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これまでの研究成果を論文集にまとめて発刊予定である。発刊へ向け、各執筆者が集い、改めて「仏教交流」が何であったのかを深めていくことを目的に本集会を開催した。
中西氏は、明治期の日本人僧侶による暹羅布教について取り上げた。明治期、パーリ語や上座部仏教を学ぶ目的で暹羅に赴いた日本人僧侶がいたが、彼らの滞在期間は極めて短く、布教活動を行った人物はほとんど確認されていない。こうしたなかで、真宗大谷派僧侶の武田恵教は、現地に布教所を開設して仏教婦人会を組織するなど、精力的に布教を展開した人物として注目される。ただし、武田が接した主な相手は暹羅在住の清国人だった。中西氏によれば、日清戦争以降、日本の南進進出が本格化するなか、これに便乗した日本仏教の活動が清国側から問題視されていた。南清での武田の活動が頓挫していくなか、暹羅に移住した清国人は、自国の弱体化により、現地で日本政府の保護を得ることを目的に武田の来暹を要請した。両者の思惑が一致して、武田の布教がはじまったが、暹羅国政府の側はこれを警戒し、結局のところ、活動は大きな広がりを持つには至らなかった。暹羅布教の場合も、他のアジア布教と同様に、国威発揚をバックとするもので、実質的な布教内容を有さないことを中西氏は指摘した。
林氏は、自身の師でもある石井米雄(1929-2010)と日タイ仏教交流について取り上げた。石井は東南アジア研究の第一人者として知られる。東京外国語大学を経て外務省職員となった石井は、外務省留学生としてチュラロンコン大学に留学。その後、現地で出家した。1965年以降、石井は京都大学などで教鞭を執った。石井が死去した際にはタイでも追悼会が催され、追悼論文集も日本に先駆けて刊行されるなど、現地での石井に対する評価は極めて高い。石井はタイ仏教への造詣が深かったが、その業績に日タイ仏教関係のものは総じて少ない。こうした中、林氏は独自に石井の蔵書から日誌を発掘し、当時の多くの日本人僧侶が南方仏教を蔑視し、日本仏教と断絶状態にあることを憂いる石井の記述等を紹介した。林氏は、人間を媒介して宗教や文化を分析した石井の研究手法を評価しつつ、現代の研究者が学知の再構築を行うべきことを主張した。
神田氏は、2011年に高野山金剛峰寺よりタイ国開教留学僧としてバンコクの王立寺院ワット・リアップに派遣され、3年間の僧院生活を送った。帰国後は真言宗僧侶として、タイ仏教に対する日本人の認識不足の改善に取り組んでいる。本発表では、タイ仏教を知りたいという日本人に向けて、実際に行っているタイ仏教巡礼の旅について具体的に紹介した。神田氏によれば、バンコクの日本人の多くは特定3ヶ所の観光寺院を訪れるが、それではタイの仏教信仰の実態を理解することはできないという。そのため、神田氏主催の巡礼では、タイの日本人納骨堂の堂守の僧侶による托鉢や勤行の様子を見学し、タイ仏教の各宗派の総本山やタイ人の死生観を反映した葬式寺への参拝、革新的で現代社会に即した仏教施設への訪問などを行っている。神田氏は、一般人はもとより日本の青年僧にもタイ仏教の実態を知り、日常生活に信仰が根付くタイ仏教から学んで欲しいと述べた。
清水氏は、タイの貝葉(大谷大学所蔵)に記された仏典写本から、日タイ交流の史実と現実を検討した。貝葉による仏典写本の伝統は、現在のタイでは廃れている。また、所在や内容が不詳のものが多く、保存環境も良くない。写本でのみ存在する貴重資料が存在を知られることのないまま失われつつあるのが現状である。貝葉研究の遅れは日本でも例外ではなく、19世紀に貝葉がもたらされて以降も、その研究は長らく行われてこなかった。その背景には、タイ仏教を「小乗」として低評価してきた日本仏教者の姿勢がある。そのため、大谷大所蔵の貝葉のように、タイ王室からパーリ語貝葉写本が贈られたとしても、そこに交流と呼べるよう実態はなかったという。とはいえ、日本にもたらされた貝葉写本の中には貴重資料が含まれているのは明らかである。国内に存在するパーリ語仏典写本の全体像が見渡せるようになれば、これらの貴重な文献類を掬い取ることができ、さらに日タイ交流の歴史や交易史への新たな知見が得られる可能性もある。そのためには日本の仏教学における東南アジア仏教文献への関心の高まりが重要と述べた。
上記発表を受け、小林氏は、交流には諸相がある点を強調した。個人間の交流、モノの交流、思想の交流など、それぞれの次元の相互交流が多様な状況を創出した。特に東南アジア諸国から伝来した経典などのモノに関して、モノはタイムラグを挟んで新たな交流をもたらすこともある。東南アジアで散逸した経典が遠く日本に存在するような場合もある。今後、例えばタイなどの留学生が日本に伝来した経典を研究して、現地に持ち帰って研究を進めることなどがあってもいのではないかと小林氏は述べた。加えて、国家同士などの「大きな交流」だけでなく、個人的に現地に赴いた武田恵教や石井米雄、また神田氏らによる「小さな交流」の功績により、現代の研究者が信頼のもとにフィールド研究ができることを忘れてはならないと論じた。
伊東氏は、仏教交流を「国家・民族」「ジェンダー」から捉え、ビルマで「修行」した日本の僧尼の行動と思想について分析した。伊東氏はまず、東南アジアと日本との仏教交流を考える上で、教義をめぐる対話が開かれているかどうかという視点で考察していくとする。そのうえで、交流において国民や民族というアイデンティティーに囚われると、仏教実践が、ある民族の一つの文化現象として理解されてしまい、結果として文明の優劣に関心が向けられ、教義を中心とした交流が実現できなかった過去をふりかえる。加えて本発表で取り上げられた浄土宗の村上妙清による『入竺比丘尼』(1944)の場合は、仏教教義におけるジェンダーの問題が民族意識で覆い隠されていることを指摘し、国家・民族意識が宗教もフェミニズムをも凌駕し、教義解釈の問題としての展開を妨げてしまうことを結論とした。
藤本氏は、日本仏教とテーラワーダ仏教の交流について発表した。ここでは、仏教の交流には「同じ地域の他の仏教との交流」、「他の地域の同じ仏教との交流」、「他の地域の他の仏教徒の交流」の三つがあることを指摘された。また、インド仏教とスリランカ仏教における部派分裂の歴史について比較し、スリランカ仏教が再統合に成功した背景についても言及された。特に現代の一例として、上座仏教のスマナサーラ長老の活動を紹介した。以前は日本仏教に関心が無かったり、反発していたりした日本人も、現在では国内において上座仏教が学べることへ強い関心を示している場合も少なくない。そして、日本仏教の僧侶からは上座仏教への反発や無関心があることなど、依然として上座仏教と日本仏教両者の交流には摩擦が生じている実態が紹介された。
大澤氏は、宗教団体が財産を維持して活動可能な背景にある法制度を論じた。誰もが閲覧できる法人の登記情報には、代表者や成立年月日、目的が記されており、法的な観点からも宗教団体について検討する情報として、重要性を指摘した。こうした問題意識のもと、日本に進出してきた東南アジア系の仏教団体が法人化していく経過を登記情報から分析し、法人化の現状と課題について論じた。
21世紀に入り、外国を発祥とする宗教団体の法人化が相次いでいる。彼らの登記情報を調べると、一般社団法人を経て、最終的に宗教法人化するケースが少なくない。こうした背景には、公益法人の制度改革により、登記だけで設立できる一般社団法人の制度が創出されたことで、法人格を得られるようになったことが挙げられる。宗教法人化する主な利点として、社会的信用が高まり、税法上の利点が大きいなどを挙げた。今回の集会でのテーマは「交流」であるが、今後の課題として、海外からの団体は母国と異なる宗教制度のため日本の法制度を知る必要が不可欠であり、日本の行政側は海外の宗教団体に関するリテラシー向上が重要であることを大澤氏は述べた。
2日目の上記発表を受け、金澤氏は、本集会の主旨にあたる「交流」という点に着目して、東南アジア仏教を専門としない自身がコメンテーターを務めること自体も、一種の交流であると述べた。
また「交流」を問い直すことが不可欠であり、日本と東南アジアの仏教で何らかの目的を共有することで真の交流に近づけるのではないかと提案した。
一方、村上氏は、構造・関係論の視座から、日本と東南アジアの仏教交流の規模や交流双方の異同、交流の担い手の多様性や交流の方向性などを整理しつつ、過去の交流に関する資料を保留・調査し、新たな交流に導くことの重要性などについて述べた。
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当ワークショップの目的は、浄土真宗において中核的な聖典であり、近代日本において最もよく読まれた宗教書である『歎異抄』の解釈書を精読し考察するものです。マーク・ブラム氏(カリフォルニア大学バークレー校教授)、マイケル・コンウェイ氏(大谷大学講師)、嵩満也(龍谷大学教授)がワークショップの指導に当たります。
当ワークショップは、2021年までに年2回、各3~4日の期間で開催されます。そしてこの度、第7回のワークショップが、2020年3月6日(金)、7日(土)、8日(日)に、カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)で開催されることが決定しました。
ワークショップ全体概要としては、『歎異抄』に関して近世・近代の日本において作られた解釈書(講録・講話)の読解を中心に行います。そして、その解釈の歴史が読み取れる詳細な注釈を加えた『歎異抄』の英文翻訳研究書を作成することを目的としています。そして、日本の宗教界と学界で種々に語られてきた『歎異抄』に関する広範な論説を検討し分析することによって、日本思想史における本書の位置付けを明確にする英文論集の作成をも視野に進めます。
今回のワークショップでは、以下の江戸時代の解説書を中心に精読する予定です。
・円智:『歎異抄私記』(1662年)
・寿国:『歎異抄可笑記』(1740年)
・香月院深励:『歎異抄講義』(1801-8年)
・妙音院了祥:『歎異抄聞記』(1841年)
また、近代の『歎異抄』の注釈者たちの著作(暁烏敏『歎異鈔講話』(1911年)、近角常観『歎異鈔講義』(1930年)、曽我量深『歎異抄聴記』(1947年)や『歎異抄』の内容をテーマにした、前回のワークショップ参加者による研究発表も予定しています。
◆ 費用:参加費無料
◆ 参加条件: 特に意欲ある大学院生を歓迎します。応募者は共催する三大学に所属している必要はありません。仏教思想や文化を専門とする方、古文や近代日本語の読解力を有する方、または仏教について英語で議論できる方を幅広く募集します。
◆ 応募方法は以下の通りです。
◆ 応募期限:2020年1月10日(金)
◆ 旅費補助について(龍谷大学世界仏教文化研究センター)
有望な参加者を支援するため、交通費・宿泊費の一部を補助します。選考は補助の必要性、本プロジェクトへの貢献の見込み等をもとに行われます。応募動機、参加目的を明示した簡単な文章に履歴書を添えて、期日までに下記アドレスへお送りください。
龍谷大学世界仏教文化研究センター rcwbc.office@gmail.com
お問い合わせ
龍谷大学世界仏教文化研究センター
075-343-3812
rcwbc.office@gmail.com
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龍谷大学と中国蔵学研究中心は、2011年に締結した学術交流に関する協定にもとづき、2019年10月26日、北京にある中国蔵学研究中心に於いて、チベットおよび仏教研究を中心とする学術交流会を開催した。今回が四度目の開催である。従来は不定期であったが、2017年12月2日龍谷大学世界仏教文化研究センターが主催した国際シンポジウムに引き続き、二年に一度交互に主催し定期的に交流の場をもつことで両者が合意し、本学からは7名が参加し研究発表を行った。中国蔵学研究中心からは9名の研究者が研究発表を行い、それぞれチベット学に関する最新の研究成果を報告した。相互の理解を深めることができ有益な学術交流会となった。加えて今回の研究セミナーが本学創立380周年記念事業の一つとして開催され祝福されたことも有意義であった。
開幕式では、中国蔵学研究中心を代表して鄭堆(ダムドゥル)総幹事(センター長)と本学代表の文学部教授能仁正顕が挨拶を行い、龍谷大学と蔵学研究中心との学術交流の今に至る歴史をふり返るとともに、その意義を顕彰した。また記念品の交換を行い、中国蔵学研究中心よりは『中華大蔵経・蔵文対勘本』(デジタル版)を、本学よりは世界仏教文化研究センター、古典籍・文化財デジタルアーカイブ研究センター、龍谷ミュージアムの最新学術誌・出版物などを互いに贈呈した。なお贈呈されたデジタル版『中華大蔵経』は、大宮図書館に収め、使用環境を整え積極的な活用を図っていく予定である。
また本研究セミナーの開催は、中国蔵学研究中心の公式サイト「中国蔵学網」と微信(WeChat)公式アカウントのほか、人民網・中国網・中新網・中国西蔵網などの中国の重要なマスコミサイトにも取り上げられ、関連記事が掲載されたことを申し添えます。
以下主要マスコミ記事のリンクを附します。
http://www.tibetology.ac.cn/fg/zgzx/news/newsdetails.html?newsId=2c9088726dcb537d016e20c6f14b0044
https://mp.weixin.qq.com/s/1pBVwNuCy67CsmbAWVUUsw
http://www.chinanews.com/m/cul/2019/10-26/8990410.shtml?f=qbapp
http://culture.people.com.cn/n1/2019/1027/c1013-31422145.html
http://cul.china.com.cn/2019-11/01/content_40943995.htm
http://www.tibet.cn/cn/news/yc/201910/t20191027_6699495.html
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主 旨 説 明:李学竹(中国蔵学研究中心研究員)
主催側代表挨拶:鄭堆(ダムドゥル)(中国蔵学研究中心総幹事(=センター長)、研究員)
日本側代表挨拶:能仁正顕(龍谷大学文学部教授)
李学竹(中国蔵学研究中心 研究員)
李曼寧(龍谷大学 非常勤講師、世界仏教文化研究センター 客員研究員)
嘉木揚・凱朝(ジャムヤン・カイチョウ)(中国社会科学院世界宗教研究所 研究員)
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2019年10月11日、村上忠良氏(大阪大学教授)による研究セミナー「仏教交流の実相への視座―タイと日本の関係より」が開催された。村上氏は仏教交流の実相へ迫るための手がかりとして、「小さな交流」と「交流の出発点」という二つの観点から講演された。
「小さな交流」とは、教団史レベルから語られる「仏教交流史」に回収されない個人的な仏教交流を指す。「小さな交流」は多くの場合、偶発的状況のなかで行われ、歴史的事象として記録されることはほとんどない。だが、実際には「小さな交流」経験の蓄積によって、次の交流が生み出される。村上氏は、タイ北部のシャンの在家朗誦師・チャレーの遊行宗教活動に関する自身のフィールドワークを通して、このような印象を持ったという。
その後、タイと日本の「小さな交流」の具体例として、タイで出家した日本人僧侶に着目された。当初、出家した日本人の動機の多くは研究目的であった。すなわち、タイを調査する手がかりを求めたフィールドワーク的な一時出家だったのである。その一例として、1942年に出家した佐々木教悟や、1958年に得度した石井米雄などが挙げられた。同様に欧米出身の研究者が出家した事例もあったが、その数は少ない。こうした背景には、日本人がそもそも仏教と馴染み深く、出家に対して抵抗が薄かったことがある。日本人出家僧の中には、プラ・ミツオ・カウェーサコーやプラ・ユキ・ナラテボー、藤川チンナワンソ清弘などのように、長期に渡って出家生活を送った者もいた。
このように、日本人が出家を通してタイ仏教に接近しようとする試みは、現地の仏教徒にも好意的に受け入れられている。さらに、日本語の仏教書や自伝の出版、瞑想会や講演会の日本開催などを通して日本社会にも受容されている。村上氏によれば、タイの日本人出家僧の数は実際には非常に多いと推測されるという。タイと日本の仏教交流は、こうした個々人の体験が重要な役割を果たしていると考えられる。
また村上氏は、「交流の出発点」について、日本とタイの仏教が「同じ仏教である」という認識が、むしろ足枷になっている可能性を指摘した。現在、日本の伝統仏教教団のタイにおける存在感は無いに等しい。「同じ」仏教という視点から出発する交流により、逆に両者の「違い」が際だち、結果的に日本仏教の認知度が低い状況を作り出していると分析された。
ただし、創価学会や世界救世教、天理教など、日本の新宗教のタイ伝道は一定の成果をあげているという。伝道では、いかに異なる実践を他者に受け入れてもらえるかが重要となる。新宗教はすでに日本国内で「異質」として扱われた経験を有しており、それが異なる宗教伝統に対する伝道面で有利に働いている。そのため、実践の経験値が少ない日本の伝統仏教と比較すると、新宗教は現地の宗教伝統との交渉に長けているのであると述べられた。
討論会では、シャンの在家朗誦師・チャレーに対する質問が相次いだ。チャレーは節をつけて仏教書を朗誦し、移動しながら様々な宗教サービスを行う半俗の宗教者で、シャンの宗教文化を支えている。村上氏は彼らの活動の具体的内容やそれを支える生活基盤などについて詳しく解説された。他にも、大乗国出身の日本人出家僧の印象等について活発な質疑応答が交わされ、セミナーは滞りなく終了した。
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
〈講演の部〉15:00~16:30
〈討論の部〉16:50~18:00
※一般来聴歓迎。お気軽にお越しください。
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(第67回日本チベット学会大会共催事業)
岩田 朋子(龍谷大学 龍谷ミュージアム 准教授)
能仁 正顕(龍谷大学 文学部 教授)
岡本 健資(龍谷大学 政策学部 准教授)
宮治 昭(龍谷大学 名誉教授)
開 催 日 時 2019年10月19日(土)15:30~17:00
開 催 場 所 龍谷大学 大宮学舎 清和館3階ホール
※申し込み不要、お気軽にお越しください。
創立380周年記念事業「世界宗教フォーラム」を開催
龍谷大学は創立380周年記念事業の一環として、「自省利他」をテーマとする世界宗教フォーラム「自省利他の社会を求めて」を開催します。
フォーラムでは「自省利他」が、世界の諸宗教ばかりではなく実業界や科学技術界においてもいかに重要な働きをしているか、いかに世界の未来を左右するキー・コンセプトであるかを、諸方面の方々に語っていただきます。
先ず基調講演をしてくださるのは、低利融資によって貧困層の自立を支援し、ノーベル平和賞を受賞されたユヌス氏。氏の事業は社会課題の解決を目的とするソーシャルビジネスの最も典型的な成功例とされ、まさに「自省利他」の事業化と言えます。
特別講演では、森本公誠氏(東大寺長老)、ハンス ユーゲン・マルクス氏(藤女子大学学長・カトリック司祭)、吉川弘之氏(日本学士院会員・東京大学第25代総長)、熊野英介氏(アミタホールディングス代表取締役)がそれぞれ仏教、イスラム教、キリスト教、工学、企業における自省利他についてお話しいただきます。
最後に、特別講演の講師がパネルディスカッションを行い、「自省利他」の未来を描きます。
【テーマ】自省利他の社会を求めて
In Search of Introspective Altruistic Society Not Yet Coming
【基調講演】ムハマド・ユヌス(2006年ノーベル平和賞受賞者)
【特別講演】森本 公誠(東大寺長老)
ハンス ユーゲン・マルクス(藤女子大学学長、カトリック司祭)
吉川 弘之(東京大学第25代総長、日本学士院会員)
熊野 英介(アミタホールディングス株式会社代表取締役)
【参加費】無料
【備 考】参加希望の方は、事前にお申込みください。(※多数お申込みいただきましてありがとうございました。定員に達しましたので申し込み受付を終了しました。)
参加申し込みサイト https://www.ryukoku.ac.jp/form_wrf/
日時:2019年7月18日(木) 13:15~14:45
場所:龍谷大学大宮キャンパス 西黌(せいこう)2階・大会議室
[大宮キャンパス・アクセス]
京都市下京区七条大宮(京都駅から徒歩約15分)
http://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_omiya.html
[大宮キャンパス・施設地図]
http://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/omiya.html
(会場は、上記リンク地図内⑥番の建物になります。
地図は、右方向が北になっておりますので、ご注意ください。)
使用言語:日本語
どなたでもご自由にご参加いただけます。
共催:龍谷大学アジア仏教文化研究センター (BARC)
龍谷大学世界仏教文化研究センター (RCWBC)
問い合わせ先:
井田克征(IDA Katsuyuki)
E-mail: ida@ad.ryukoku.ac.jp
(資料等準備の関係上、ご参加される方は事前にご一報いただければ幸いです。)
2019年6月21日(金)から23日(日)にかけて、大谷大学を会場に第6回『歎異抄』ワークショップが開催された。
本ワークショップは、学術交流協定を結ぶ大谷大学真宗総合研究所と米国カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所、龍谷大学世界仏教文化研究センターの三研究機関が主催するもので、今回で6回目となる。この度も円智『歎異抄私記』(1662年)・寿国『歎異抄可笑記』(1740年)・香月院深励『歎異抄講義』(1801-8年)・妙音院了祥『歎異抄聞記』(1841年)という四つのテキストごとに班にわかれ、各註釈書の精読と英訳作業が行われた。また期間中には、親鸞仏教センターの東真行氏が“Kaneko Daiei’s Understanding of the Tannishō”と題して、大谷大学の鶴留正智氏が”Ryōshō’s Methodology”と題して英語で講演した。アメリカ・カナダ・韓国・中国・日本・ミャンマーなど、世界各国から研究者が参集し、活発な議論が交わされた。なお次回のワークショップは2020年3月、アメリカBerkleyの浄土真宗センターを会場に行われる予定である。
オープニングセッションの様子
翻訳作業の様子
プレゼンテーションの様子
懇親会の様子
2019年6月28日(金)、小島敬裕氏(津田塾大学准教授)による研究セミナー「戦前・戦後における日本とミャンマーの仏教交流史」が開催された。小島氏は、大学卒業後に日本語教師としてミャンマーに渡り、その後、現地で出家するなど、豊富な知識と経験を持つ。
講演では、1940年代にミャンマーに渡った仏教研究者・上田天瑞の上座部仏教観の変遷や、上田とともに日本人戦没者の遺骨収集に参加し、世界平和パゴダ建立に尽力した市原瑞麿を紹介しつつ、戦後日本とミャンマー各地に建立された戦没者パゴダ供養塔をめぐる問題などについて議論された。
上田天瑞は南方仏教研究のためタイへ渡航するも、直後に太平洋戦争が勃発。日本陸軍のミャンマーでの作戦に合流することになった。当時の上田の手記には、不殺生戒を理由に直接的な戦争協力を避けるミャンマー僧侶らの姿勢を批判する記述が目立つ。だが、戦後には一転、戒律厳守を積極的に評価するようになった。こうした態度の変化について、小島氏は、上田の遺骨収集活動への参加が影響していたと指摘する。上田は戦後、ミャンマーでの日本人戦没者の遺骨収集を通して戦争の悲惨な現実を目の当たりにした。そして帰国後、自身が住職を務める寺に戦没者供養塔を建設し、パゴダ納骨堂の建立も検討した。こうした経験が戒律厳守に対する上田の態度を改めた。
また、上田とともに遺骨収集に参加した市原瑞麿は、ミャンマー連邦仏教会と交渉し、世界平和パゴダの建設を進めた。この際、戦没者の遺骨を釈尊像と一緒にパゴダに祀る構想をめぐり、ミャンマー側と諍いがあったものの、1958年にミャンマー政府と日本人の寄進によって、戦没者出兵の地である福岡県門司市に世界平和パゴダが完成した。以降、日本人が同様のパゴダ型の戦没者供養塔を国内外に建立した。
講演後半では、パゴダ型供養塔に対するミャンマー人仏教徒の認識や、供養塔の存在意義の変遷、世話人たちの高齢化にともなう供養塔の維持困難な現状などが報告された。
講演会には南伝仏教や東南アジアの仏教史の専門家の他、龍谷大学学長や多数の学生らが参加した。質疑応答では、ミャンマー仏教と他の上座部仏教との違いや、日本人側に現地人を慰霊する発想が見られない理由、また維持困難なパゴダ型供養塔の将来などについて熱心に質疑応答が交わされた。入澤学長からも、パゴダを「墓」と同等に捉える日本人の理解と、実際のパゴダの伝統との齟齬などについて指摘がなされた。これに対して、日本とミャンマー間でパゴダをめぐる認識の齟齬が見られつつも、一方でパゴダ建立が互いの交流促進に貢献しているのではとの見方が示されるなど、活発な討議を経て講演会は終了した。
講演者の小島敬裕氏
会場の様子
会場の様子
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
〈講演の部〉15:00~16:30
〈討論の部〉16:50~18:00
※一般来聴歓迎。お気軽にお越しください。
ワークショップは基本的に英語で行われ、日本語の使用は最小限になります。対象となるテキストは古文と近代日本語が中心であり、いくつか漢文と英語の資料も使用します。参加者には、事前に割り当てられた資料を読んでくることと、場合によってはその内容に関する英語のプレゼンテーションをすることが求められます。
本ワークショップを共催する3大学に所属している必要はなく、どなたでも御応募いただけますが、特に意欲ある大学院生を歓迎します。古文や近代日本語を読むことができ、仏教思想や文化に慣れ親しんでいる方、仏教に学問的関心を持ち、英語で議論に参加できる方であれば、国内外の大学院生を幅広く募集しています。
【開催報告】
アメリカBerkleyの浄土真宗センターにて2019年3月1日(金)〜3月3日(日)、第5回『歎異抄』ワークショップが開催された。本ワークショップは、カリフォルニア大学バークレー校、大谷大学、龍谷大学の共同研究プロジェクトとして、近世における『歎異抄』の解釈書の精読と英訳作業を行なっている。
本年度のワークショップでは、約25名の研究者および大学院生・現地僧侶が参加し、4班に分かれてテキストの英訳化および議論を行なった。期間中には、モンタナ大学の阿満道尋氏、大谷大学の本多正弥氏および大谷裕氏、Institute of Buddhist Studies (IBS)のAmy Lynn Umezu氏による講演も行なわれ、活発な議論が交わされた。なお、次回のワークショップは6月に大谷大学にて開催予定である。
翻訳作業の様子1
翻訳作業の様子2
プレゼンテーションの様子
<プログラム>
【2月19日】 東黌301教室
10:00
開会挨拶
10:30
Maria Lúcia Mello Oliveira CACCIOLA (University of São Paulo)
“The Presentation of A. Schopenhauer Philosophical Thought”
カシオーラ、マリア・ルシア・メッロ・オリベイラ(サンパウロ大学)
「A・ショーペンハウアーの哲学的思索の表出」
13:30
Yasuo KAMATA (Kwansei Gakuin University)
“The Duplicity of the Philosophical Consciousness– Arthur Schopenhauer’s Understanding of Philosophy”
鎌田康男(関西学院大学)
「哲学的意識の二重性 ―アルトゥーア・ショーペンハウアーの哲学理解」
15:00
Christopher JANAWAY (Southampton University)
“Different Kinds of Willing in Schopenhauer”
ジャナウェイ、クリストファー(サウサンプトン大学)
「ショーペンハウアーにおける異なる種類の意志」
16:30
Tadahiro OOTA (Kyoto University)
“On Limitation of Subjectivity and Role of Thing in itself in Schopenhauer’s Philosophy”
太田匡洋(京都大学)
「ショーペンハウアーにおける主観性の限界と物自体の役割」
19:00
懇親会
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【2月20日】 東黌301教室
9:00
Josef HLADE (Graz University)
“Die physiologische Kant-Interpretation in der zweiten Auflage von „Die Welt als Wille und Vorstellung“ und die Empirisierung des Transzendentalen im Neukantianismus”
フラーデ、ジョセフ(グラーツ大学)
「『意志と表象としての世界』第二版における生理学的カント解釈と新カント派における超越論的なものの経験化」
10:30
Alexander SATTAR (University of Mainz)
“Schopenhauers doppelter Metaphysikbegriff im Hinblick auf seine frühe Konzeption des ‚wahren Kritizismus‘ und ihre Quellen in Schellings und Fichtes Philosophie”
ザッター、アレクサンダー(マインツ大学)
「ショーペンハウアーの二重の形而上学概念およびその源泉としてのシェリングとフィヒテの哲学―初期の「真の批判主義」構想に関連して」
13:30
Akira NISHI (Kwansei Gakuin University)
“Die Offenbarung des Schönen im Schweigen des Willens: Schopenhauer contra Nietzsche?”
西章(関西学院大学)
「意志の沈黙における美の顕現―ショーペンハウアー contra ニーチェ?」
15:00
Philipp HÖFELE (University of Freiburg)
“Und „das Rad des Ixion steht still“: Zu einer Parallele im Willensdenken Schopenhauers und Schellings”
ヘフェーレ、フィリップ(フライブルク大学)
「そして「イクシオンの車輪は止まる」―ショーペンハウアーとシェリングの意志に関する思索における並行性について」
16:30
Oliver HALLICH (University of Düsseldorf)
“David Benatar – ein moderner Schopenhauerianer”
ハーリッヒ、オリヴァー(デュッセルドルフ大学)
「デイヴィッド・ベネター ―現代のショーペンハウアー主義者」
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【2月21日】 東黌301教室
9:00
Nate CARNEY
“Toward an Elucidation of the Connection between Aesthetics and Morality with Special Reference to Schopenhauer”
カーニー、ネイト
「美学と道徳の接続の解明に向けて ―ショーペンハウアーに注目して」
10:30
Yukiko HAYASHI (University of Mainz)
“Die Ethiklehre Schopenhauers in der Welt als Wille und Vorstellung– im Hinblick auf Realität und Wirklichkeit”
林由貴子(マインツ大学)
「『意志と表象としての世界』におけるショーペンハウアー倫理学―実在性と現実性の観点から」
13:30
Kosuke SHIMIZU (Ryukoku University)
“The Tragedy of the Kyoto School and its Relation to Nothingness”
清水耕介(龍谷大学)
「京都学派の悲劇とその「無」との関係」
15:00
Michihiro YOKOTA (Kyushu University)
“Daisetz Teitaro Suzuki’s Outlines of Mahayana Buddhism and its Relation with Schopenhauer”
横田理博(九州大学)
「鈴木大拙『大乗仏教概論』とそのショーペンハウアーとの関係」
16:30
Oswaldo GIACÓIA Júnior (University of Campinas)
“Anguish of Consciousness, Evil and Redemption: Aesthetics and Ethics in Arthur Schopenhauer´s Philosophy”
ジャコイア、オスワルド Jr.(カンピーナス大学)
「意識の苦悶、悪、そして救済―アルトゥーア・ショーペンハウアーの哲学における美学と倫理」
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【2月22日】 北黌204教室
9:00
Raphael GEBRECHT (University of Duisburg-Essen)
“Schopenhauers intellektuelle Anschauung als Grundlage der Willensmetaphysik”
ゲブレヒト、ラファエル(デュースブルク大学)
「ショーペンハウアーにおける意志形而上学の基礎としての知的直観」
10:30
Takao ITO (Soka University)
“Der Staat als Wille und Vorstellung”
伊藤貴雄(創価大学)
「意志と表象としての国家」
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Homepage: http://schopenhauer.org/wwv200/
Email: wwv200office@schopenhauer.org
【主催】
科研プロジェクト「ショーペンハウアー研究の新世紀へ―主著刊行200周年を機縁とした国際共同研究」(17H02281)
【協賛】
龍谷大学世界仏教文化研究センター
詳細: http://schopenhauer.org/wwv200/index.html
問合先:075-343-3458
このワークショップは、浄土真宗において中核的な聖典であり、近代日本において最もよく読まれた宗教書である『歎異抄』について、その近世・近代の解釈書を精読し考察するものです。マーク・ブラム(カリフォルニア大学バークレー校教授)、マイケル・コンウェイ(大谷大学講師)、嵩満也(龍谷大学教授)がワークショップの指導に当たります。
このワークショップは、2021年まで年2回(2017年3月末にバークレー〔第1回〕、8月初旬に京都〔第2回〕、2018年3月初旬にバークレー〔第3回〕、6月下旬に京都〔第4回〕。なお京都での開催は、龍谷大学と大谷大学とが交互に開催する予定)、各3~4日の期間で開催することが予定されています。そしてこの度、第5回のワークショップが、2019年3月1日(金)、2日(土)、3日(日)に、カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)で開催されます。
ワークショップ全体は、『歎異抄』に関して近世・近代の日本において作られた解釈書(講録・講話)の読解を中心に構成され、その解釈の歴史が読み取れる詳細な注釈を加えた『歎異抄』の英文翻訳研究書を作成することを目的としています。そして、日本の宗教界と学界で種々に語られてきた『歎異抄』に関する広範な論説を検討し分析することによって、日本思想史におけるこの書の位置付けを明確にする英文論集の作成をも視野に入れてワークショップを進めます。
3月に開催される今回のワークショップでは江戸時代の解説書を中心に精読する予定です。対象は以下になります。
円智:『歎異抄私記』(1662年)
寿国:『歎異抄可笑記』(1740年)
香月院深励:『歎異抄講義』(1801-8年)
妙音院了祥:『歎異抄聞記』(1841年)
また、近代の『歎異抄』の注釈者たちの著作(暁烏敏『歎異鈔講話』(1911年)、近角常観『歎異鈔講義』(1930年)、曽我量深『歎異抄聴記』(1947年))や『歎異抄』の内容をテーマにした、前回のワークショップ参加者による研究発表も予定しています。
◆ 費用:参加費なし
◆ 参加条件:どなたでもご参加いただけますが、特に意欲のある大学院生を歓迎します。
◆ 応募方法(以下のご案内pdfを御覧下さい)
◆ 応募期限:2019年1月10日(木)
◆ 旅費補助について(龍谷大学世界仏教文化研究センター)
遠方から参加する有望な大学院生を支援するため、限られた人数になりますが交通費・宿泊費の一部を補助します。補助の必要性、本プロジェクトへの貢献の見込み等を基準に選考が行われますので、補助を希望される方は応募メールにその旨を説明した書類と、The Centers for Japanese Studies and Buddhist Studies at the University of California, Berkeleyに送った、ご自身の資格、応募動機、参加目的を説明した簡単な文章と履歴書を1月10日までに下記のアドレスにお送りください。
龍谷大学世界仏教文化研究センター, rcwbc.office@gmail.com
お問い合わせ
龍谷大学世界仏教文化研究センター
075-343-3812
rcwbc.office@gmail.com
馬場紀寿氏
当日の会場の様子
2019年1月25日(金)、馬場紀寿氏(東京大学准教授)によって「上座部はなぜそう呼ばれるのか?―近代における「大乗仏教」と「上座部仏教」の誕生―」と題する発表が行われた。
「大乗仏教」と「上座部仏教」という概念は、近代以降Buddhismという英語の概念に基づいて成立したものである。19世紀までBuddhismという概念はなく、また「北方仏教」と「南方仏教」という概念も、近代仏教学の誕生とともに広まっていったものである。
スリランカの大寺(Mahāvihāra)で編纂された文献が、その後の仏教学に与えた影響は非常に大きい。大寺が5世紀に編纂した膨大なパーリ文献は、それまで仏教の聖地であったインドとその周辺に位置していたスリランカの関係を逆転するほどの影響力を持ったという。我々は「パーリ語で仏典を伝承すべきである」(パーリ語こそが「仏語」である)という主張の背景をここに見ることができる。1870年中頃には、R. C. ChildersやT. W. Rhys Davidsらによって、このパーリ語を本来の仏典とする考えがすっかり定着した。
釈宗演は、セイロンで「南方仏教」を学び「南方仏教」を「小乗仏教」と、「北方仏教」を「大乗仏教」と同置した。そして弟子の鈴木大拙はそれを英語で発信した。その後「小乗仏教」は「上座部仏教」として定着していく。
[以下、当日の配布レジュメより]
Theravādaは「上座部」という漢語の概念を前提に「再発見」されたものである。前田恵学は、「上座部」から「部」をとった「上座仏教」という概念を新たに唱えた。馬場氏は、これには大きな問題を孕んでいるとする。そして馬場氏は、前田による提言の問題点は、まず今日のスリランカと東南アジア大陸部の主要なパーリ語仏典が「上座部」(Theriya)と称するスリランカの大寺による伝承を無視していること、そして、近代におけるTheravāda Buddhismという概念が、スリランカの仏教は「上座部」だという『大唐西域記』の記述に基づいて生まれたという事実を見落としていることにあるとする。
馬場氏は、前田の提言に学術的根拠がないことを述べ、Theravādaを近代に「再発見」した歴史的経緯などを踏まえると、「上座部仏教」とすることが最善であると考えているという。
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
※〈講演の部〉15:00~16:30
〈討論の部〉16:50~18:00
※申し込み不要、一般聴衆歓迎。お気軽にお越しください。
2018年11月16日(金)、研究セミナー「ビルマと日本の仏教交流」が開催されました。
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伊東利勝氏は、第一次、二次世界大戦中および戦後期において、日本とビルマの間で活動していた3人の出家者――①1907年から1929年にかけて日本を数回訪ねたビルマ僧オウタマ、②1930年代ビルマを含む東南アジアに布教に行った永井行慈、③1950年代にビルマを訪問した藤吉慈海――の経歴と著作を通して、それぞれの国家・仏教観を紹介し、国家と宗教のあり方について考えを述べた。
Ⅰナショナリズムと宗教
まず、ビルマ僧オウタマの東アジア遊歴と著書『日本国伝記』(1914)、『中国と日本』(1938)の出版を紹介した。特に、『日本国伝記』(1914)では、オウタマは日露戦争の結果に驚かされ、日本が近代化によって強国になったことに強く感銘を受け、日本に学ぶべきだと主張している。また、『中国と日本』(1938)は、当時の日本側の宣伝をそのまま受け入れ、「日本の中国侵略を正当化する」著書であった。オウタマは「国家や民族の独立と繁栄,つまりは西洋並みの近代化があってこその仏教の興隆」を目指し、イギリス占領下のビルマの独立に奔走した。彼は、最初は仏教の勉強のために来日していたが、「日本の仏教には関心なし」であった。
Ⅱ 侵略(帝国主義)と布教
1930年代に、ビルマを含む東南アジアに布教に行った日本の日蓮僧永井行慈は、ビルマにおいて一度投獄されたことがあり、その時に『ビルマ獄中記』を著した。永井は、「小乗戒は個人を生きることであり,大乗戒は国家を生かすことである。それ故にビルマの仏教は個人主義には生きたが,あべこべに国家を滅ぼしてしまった」と考え、日本軍の東アジア・東南アジア進出は解放のための「菩薩行」であると主張した。永井の場合、「国家あっての仏教という考え方ではオウタマと同じ」である一方、「ビルマの仏教は完全に否定,ここがオウタマと異なる」のである。
Ⅲ 文明・文化と宗教
1950年代に、仏教交流の目的でビルマを訪れた日本の浄土宗僧藤吉慈海は『ビルマ游記』を著し、ビルマの「粗野」「野蛮」だった諸民族は、仏教の恵みによって、文明に接し、精神や文化などの様々な面において進化できたとし、「苦からの解放や仏教の発展は,国家主導により,民族の文明化によってはたされる」と主張した。
Ⅳ 国家と宗教
伊東氏は、上記三者について、「三者とも仏教の繁栄や実践を,国家や民族の枠内で考えている」という共通性と、「オウタマは国家・民俗が栄えて,御仏の教えも輝くとする」「永井も,個人より,まずは国家が大事であるという」「藤吉の場合,民族や国民の形成に不可欠な文化,文明をもたらした仏教」という各々の傾向性をまとめたほか、「ただ,根本的には同じ仏の教えを共有するもの同士,という感覚は少ない」「そして,ややもすれば相手の仏教を批判し,これを変えようとする」などの問題点を指摘した。
最後に、伊東氏は、我々は「心の平安を追求できる社会とは,どのようなものか」を考えるべきであり、また、「その前に,仏教の実践や交流は,国家や民族意識の制約を受けていることを自覚すべき」と、国家と宗教のあり方に対する反省を喚起した。
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
※〈講演の部〉15:00~16:30
〈討論の部〉16:50~18:00
※申し込み不要、一般聴衆歓迎。お気軽にお越しください。
【開催記録】
会場の様子
三浦真証氏
本学非常勤講師の三浦真証氏が、「研究資料としての写字臺文庫」と題して、写字臺文庫の基礎情報から、その特徴、そして現在どのような研究がなされているかについて講演を行った。
西本願寺歴代宗主の蔵書である写字臺文庫は、1904年に龍谷大学に移管された。それらは、室町時代のものが最も多く、近世初期の刊写本がそれに次いで多い。写字臺文庫からは、各宗主の特徴を知ることができ、例えば、第10世の証如上人(1516~1554年)や第11世の顕如上人(1543~1592年)等は、儒者の清原宣賢と、第12世の准如上人(1577~1630年)は山科言経と、第17世の法如上人(1707~1789年)は松下烏石と交流していたことなどが分かる。また法如上人は、『真宗法要』(親鸞聖人から蓮如上人までの和語の聖教を集めたもの)を刊行したことでも知られている。
次に『真宗法要』の編纂過程について説明が行われた。この過程研究において重要な書物の一つが、多屋頼俊氏による『歎異抄新註』(法藏館1946年)である。三浦氏によって、この書物を参照に、『真宗法要』のみに見られる「訂正」などがあることなどが紹介された。
そして、『教行信証』の流伝の研究状況について解説が行われ、『本願寺伝授本』の特徴などが紹介された。その特徴としては、例えば、8冊本として表尾題を完備しており、6行/17字で固定されていることなどが挙げられる。江戸時代に出版された『教行信証』は、寛永版(1637年刊)、正保版(1648年刊)、明暦版(1657年刊)、寛文版(1673年刊)がある。これら諸本との校合本もいくつか存在している。
岩田真美氏
本学准教授の岩田真美氏が「幕末の護法論-交錯する宗教世界-」と題して、超然(1792~1863年)と七里恒順(1835~1900年)の著作をめぐって、幕末期に、仏教がどのように「自己」と「他者」を認識していたかについて、講演を行った。
幕末期、西洋の学問やキリスト教の流入によって、仏教の世界観、とくに「須弥山説」が否定されたことに、超然は大きな脅威を感じていた。そして彼は、西洋の侵略から日本を守るためには、神道・儒教・仏教の三教が協力することが重要だと考えた。超然による『護法小品』には、儒学者からの批評も掲載されており、例えば、儒者・斎藤拙堂は、超然がキリスト教を「邪教」とすることに理解を示しながらも、西洋天文学も排斥するのは間違いであると述べている。同様に、吉田松陰も、西洋天文学の脅威を強調するのは間違いであると述べている。斎藤拙堂や吉田松陰の言説からは、近代的な意味での「宗教」と「科学」の峻別が見られる。
七里恒順による『梅霖閑談』には、七里と福沢諭吉との対論の概要が掲載されている。そこで福沢は、自身がセイロンに行った時、印度の僧侶が「南無阿弥陀仏」を知らなかったことに衝撃を受け、「もしこの教えが印度にないとすれば、それは「本源ナキノ流水」ではないか」と、七里に疑問をぶつけている。それに対して、七里は「日本に伝わっている経典は梵文を漢訳したものであり、梵文を読めなければ、印度人僧侶には正確に通じない。また日本に伝来する間に梵音が轉訛した」と言うことを述べている。
近代の仏教は、やがて西洋の天文学が正しいと認めざるを得なくなり、やがて「科学」と「宗教」を峻別するようになっていく。そして仏教は自然科学の領域からは撤退し、西洋の「宗教」の概念の流入とともに、次第に心の問題を重視するようになっていったと、岩田氏は講演をまとめた。
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開会挨拶
那須英勝(龍谷大学親鸞浄土教総合研究班真宗学研究プロジェクト代表)
三浦真証(龍谷大学非常勤講師)
岩田真美先生(龍谷大学准教授)
質疑応答
司会:打本弘祐(龍谷大学講師)
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【監督】菅尾健太郎
【製作総指揮】パウロ・パストレロ
釈徹宗(相愛大学教授、浄土真宗本願寺派僧侶)×菅尾健太郎(『トレス・ジョイアス』監督、浄土真宗本願寺派南米開教区開教使)
司会:那須英勝(龍谷大学教授)
日時:2018年10月14日(日) 12:30~17:00 (開場12:00)
場所:龍谷大学 響都ホール校友会館 (京都府京都市南区東九条西山王町31アバンティ9階〔JR京都駅から徒歩1分〕)
12:30~ 司会挨拶:那須英勝
12:40~14:25 第1章、第2章上映
14:25~14:50 休憩
14:50~15:50 第3章上映
15:50~16:30 アフタートーク:釈徹宗×菅尾健太郎
会場では、上映作品のパンフレットと、Blu-rayを、特別価格で販売いたします。
※入場券は、法藏館書店店頭でのみ販売しております。
※または、当日入定時に、現金でお支払い下さい。
【制作会社】EBISUフィルムス
【制作協力】国際仏教文化協会〔IABC〕、仏教伝道教会〔BDK〕
【後援】真宗大谷派南米本願寺、曹洞宗南アメリカ国際布教総監部、ブラジリア本願寺、CEBB、VIA ZEN、CENTRO DE DHARMA、INSTITUTO CAMINHO DO MEIO
※龍谷大学世界仏教文化研究センターでは、2017年6月22日(木)に菅尾健太郎監督をお招きし、『トレス・ジョイアス』の特別上映会を開催いたしました。
10月12日(金)、駒澤大学の矢野秀武氏による講演「仏教アジア布教・伝播の多面性―タイのタンマガーイ(Thammakai)を中心に―」が行われた。
「交流」とは一般的に、全体的で意識的なものとイメージされるが、矢野氏は、それだけではなく、現代においては、部分的で無意識的、そして高速かつ多方向の変化の内でも「交流」は行われるものだという。
タイの僧侶ソット師は、タンマガーイ瞑想の創始者である。タンガマーイ瞑想の特徴は、①身体内部の水晶・光球の移動、②9段階(18身体)の内なる身体イメージにあり、最終的に涅槃処(アーヤタナ・ニッパーン)、即ち最高度の身体があるという領域へと移行していくという。なお他にも、③護符瞑想と他界探訪、④無辺微細瞑想、⑤闘魔の術智などの応用的・高度な瞑想もある。
ソット師の死後、タンマガーイ瞑想及び寺院はいくつかに分派した。またその後、海外展開も積極的に行われていくことになる。例えば、アメリカでは、カリフォルニア大学バークレー校の教員と経典のデータベース作成を行う契約を結んだり、タンマガーイ放送大学が設立されたりした。
タンマガーイ寺院の布教の経営戦略は、資源戦略としては、多数の高学歴の若い人材を登用し、競争戦略としては、日本の新宗教から運営手法を学ぶことなどが行われた。これらはタイにおいては非常に斬新な方法であった。一方、日本における布教はどうだったのか。矢野氏は、これは「不成功」だったと述べる。その理由は複合的であるが、例えば日本における布教の競争相手が、タイの伝統寺院ではなく日本の宗教団体、しかも新宗教団体であったことなどが挙げられる。加えて、矢野氏は、タンガマーイ寺院の日本における布教の失敗の背景には、1989~1995年にかけて日本で起こったオウム真理教事件もあるのではないかと推測している。
日本人の多くは、上座仏教を、仏陀の時代の仏教、パーリ三蔵聖典・注釈、エスニック上座仏教というように、各層で分断的にイメージしており、これは、タイ人の上座仏教のイメージ、つまり各層は一体であると考えるものとは大きく異なる。このような、いわばドメイン戦略のずれも、日本における布教の失敗だったのではないかと、矢野氏は指摘する。これは端的に、タンガマーイ寺院が、日本人の上座仏教のイメージを掴み損ねた結果ということでもある。
矢野秀武氏
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
※〈講演の部〉15:00~16:30
〈討論の部〉16:50~18:00
※申し込み不要、一般聴衆歓迎。お気軽にお越しください。
2018年9月21日(金)、藏本龍介氏(東京大学東洋文化研究所准教授)による講演「僧院とは何か―現代ミャンマーを事例として―」が開催された。藏本氏は「僧院」を言説・ヒト・モノの絡み合いの中で形成・変容していく一つの制度として捉える制度論的アプローチから研究を行っている。また、地域・仏教の種類・学問分野を超えた共同研究はいかにして可能かについて探っている。
藏本氏は、仏教という歴史的文脈の中で形成されてきた「僧院」が各地・各時代において、どのように変容してきたかを明らかにすることは、仏教史、延いては仏教世界を深く理解するための重要な手がかりとなると述べる。しかし「僧院」の定義は、実は曖昧で、教義(律)が規定しているのは「サンガ」であり「僧院」ではないという。「サンガ」は、例えば「界によって区切られ、律に則って運営される自治的集団(最低4人以上)」(『上座仏教辞典』2016年)などと定義されている。藏本氏によると、このような「サンガ」は遅くとも紀元前1世紀には、定期収入を得、財産を管理・運用するための組織へと変わっていったという。
「僧院」の定義は曖昧だが、ミャンマーでは国家法により、すべての出家者は中央あるいは地方のどこかの「僧院」に属するということになっており、それは、「僧院」を出家者集団として実体化している。また、村の「僧院」、町の「僧院」、森の「僧院」など、立地によってその事業内容(例えば、町の「僧院」は教学のため、森の「僧院」は瞑想のためなど)も様々である。「僧院」の構成員の入れ替わりは激しい。仏教試験制度は、かつては師弟関係を重視していたが、今では試験対策テクストの暗記が重視されており、藏本氏は、これも出家者の流動化の要因の一つかもしれないと指摘する。つまり、師匠から律の解釈・実践方法を「受け継ぐ」という形態が少なくなってきたということは、出家者は、法統を超えて自由に移動するということである。これは、ゆくゆくは宗派の解体を促すことにもつながるものである。
植民地期以降、ミャンマーでは、「僧院」の在家組織化が進んだという。藏本氏は、1986年に設立されたT寺院を事例に、在家仏教徒組織が主導して「僧院」経営を管理する在り方について説明を行った。現在「僧院」における掃除や調理、農作業などにおいても在家者は非常に大きなウェイトを占めており、その存在を欠くことはできない。
藏本氏は、「僧院」とパゴダは、空間的にも機能的にも分離していることを指摘する。端的に言えば「僧院」は出家者の修行空間であり、パゴダは在家者の信仰空間ということである。そして、藏本氏は、両者を構成要素に分解した上で、それらを連続的に捉え直すことが今後重要であることを示唆した。
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
※〈講演の部〉15:00~16:30
〈討論の部〉16:50~18:00
※申し込み不要、一般聴衆歓迎。お気軽にお越しください。
会場の様子
2018年7月27日(金)、清水洋平氏(大谷大学非常勤講師)による講演「経典をめぐる交流の史実と現実」が開催された。本講演では、大谷大学が所蔵するタイ請来の貝葉写本=「大谷貝葉」について、19世紀末に活発化した日本人留学僧の動向を交えて、その来歴等の検討が行われた。
日本では、1900年4月、仏教の各宗派協議会が開かれ、釈尊御遺形奉迎使節団(奉迎正使:大谷光演)が結成され、タイ(シャム)へ派遣された。「「大谷貝葉」はこの際に、シャム王室から大谷光演に贈られた」という従来の説に関して、清水氏は、いくつかの矛盾点を示し、最新の研究調査から新たな説を打ち出している。それは「「大谷貝葉」は、仏舎利奉迎の時より、10年程遡る時期(1890年)、シャムに留学していた真宗大谷派の学僧である生田(織田)得能が、帰国する際に、ラーマ5世の命(許可)を受けたタイの名門貴族プラヤー・パーサコーラウォンから東本願寺第22第法主・大谷光瑩への受け渡しを託されたもの」というものである。
清水氏によると「大谷貝葉」のみならず、国内にある写本経典の多くは、長らく等閑視されてきたため、ほとんど研究されていないというのが現状であるという。また清水氏は「大谷貝葉」の全貌は、それと関わりがあると考えられる貝葉写本(龍谷大学や大正大学が所蔵のもの等)との比較検証を経てはじめて明らかになると述べた。
現在、国内に所蔵されているタイ請来のパーリ語仏典写本の所在については、情報がほとんどなく、どのくらい国内に存在するかなどの全体像は不明である。清水氏は、このような状況が少しでも改善されれば、タイと日本との交流の歴史や交易史についても新たな知見が得られるのではないか述べ講演を締めくくった。
清水洋平氏
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
※申し込み不要、一般聴衆歓迎。お気軽にお越しください。
会場の様子
2018年7月20日(金)、藤本晃氏(浄土真宗誓教寺住職)による講演「スリランカ=タイの上座仏教と日本仏教」が行われた。
まず藤本氏は、「交流」とは「何かと何かが接触して新しい何か(認識)が生じること」であり、また「刹那生滅して止まれない諸現象が触れるたびに滅して、新たな現象が生じること」だと定義した。そして「分裂」とは、このような「交流」を閉じるものであると述べた。その上で、藤本氏は、スリランカにおける部派分裂(大寺派、アバヤギリ派、ジェータヴァナ派)の歴史について解説した。
次に、スリランカとミャンマー、タイがどのように「交流」を行ってきたかが述べられた。19世紀には、スリランカの比丘サンガで出家できない若者がミャンマーのアマラプラで出家して帰国した。彼らはアマプラ派と呼ばれている。またミャンマーの森林比丘の流派で出家して帰国する者もおり、彼らはラーマンニャ派と呼ばれている。藤本氏は、これは部派分裂ではなく、同じ上座部(大寺派)の比丘サンガであり、国やグループによって文化的な相違こそあれ、破和合僧ではないと述べた。
日本仏教は、上座仏教と「交流」を行っているだろうか。――藤本氏は、日本の仏教学界は「禅定」「悟り」など実証を要する学や「縁起」「無常」などの理解は行われていないのではないかと疑問を呈した。また特に学界では、仏法僧の混同が行われており、これらの区別をしっかりしなければならないとも主張した。
藤本晃氏
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(龍谷大学 教授、世界仏教文化研究センター 仏教史・真宗史総合研究班長)
※申し込み不要、一般聴衆歓迎。お気軽にお越しください。
* Jointly hosted by the Research Center for Buddhist Cultures in Asia (BARC), Ryukoku University, and the Research Center for World Buddhist Cultures, Ryukoku University.
* This Conference is funded by a grant from the Numata Fellowship (沼田奨学金), Ryukoku University.
使用言語:英語
一般参加歓迎
【問い合わせ先】
龍谷大学南アジア研究センター・舟橋
e-mail: funahashi@ad.ryukoku.ac.jp
チャールズ・ハリシー (ハーバード大学・神学大学院 沼田恵範仏教文献学講座教授)
ジャネット・ギャツオ (ハーバード大学・神学大学院副院長、ハーシェイ仏教学講座教授)
◆レスポンデント (真宗学の視点からのレスポンス)
嵩満也 (龍谷大学国際学部教授)
那須英勝 (龍谷大学文学部教授)
◆司会
廣田デニス(龍谷大学名誉教授、アジア仏教文化研究センター研究フェロー)
【開催報告】
2018年6月22日(金)~24日(日)、龍谷大学大宮学舎で第4回『歎異抄』ワークショップが開催された。本ワークショップでは、四つの班にわかれ、『歎異抄』についての江戸時代の解釈書の精読と英訳作業が行われた。アメリカ、イスラエル、台湾など世界各国から研究者が参集し議論が交わされた。ワークショップ期間内に、大澤絢子氏とウェイン横山氏による特別講義、また西田眞因師による講演「江戸期における『歎異抄』研究の状況:江戸の歎異抄―その研究状況と問題点―」も開催された。
会場の様子(西黌2階大会議室)
ウェルカムパーティ
西田眞因師
翻訳作業の様子
詳しい地図は、下記URLを御覧下さい。
https://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/omiya.html
https://www.ryukoku.ac.jp/about/campus_traffic/traffic/t_omiya.html
2018年6月22日(金)~24日(日)に、龍谷大学世界仏教文化研究センター、the Centers for Japanese Studies and Buddhist Studies at the University of California, Berkeley、及び大谷大学真宗総合研究所が共催する、第4回『歎異抄』ワークショップに関してご案内いたします。
このワークショップは、浄土真宗の聖典で、近代日本において最もよく読まれた宗教書である『歎異抄』についての近世(江戸時代)の解釈書(講義録・講話)を精読し、その英訳作業を日・米・欧の研究者・大学院生が共同作業で行うものです。そして、『歎異抄』に関する近世の理解・解釈の歴史が読み取れる詳細な注釈を加えた『歎異抄』の英語翻訳を作成することを最終的な目的としています。また、日本思想史におけるこの書の位置付けを明確にする英文論集の作成をも視野に入れてワークショップを進めています。
龍谷大学で6月に開催される今回のワークショップでは、これまでの3回のワークショップから継続して、江戸時代に成立した以下の4冊の解説書を中心に英訳作業をすすめる予定です。
円智:『歎異抄私記』(1662年)
寿国:『歎異抄可笑記』(1740年)
香月院深励:『歎異抄講義』(1801-8年)
妙音院了祥:『歎異抄聞記』(1841年)
また、ワークショップの期間中に、『歎異抄』の研究者による特別講義(詳細については決定次第ホームページで公表します)も予定しています。
これまで参加されていない方々も自由に参加していただけます。ただし、ワークショップの趣旨をご理解の上、事前の登録をお願いいたします。また、人数は限られますが国内移動の旅費について助成をいたします。詳しくは、以下の「応募方法」を御覧下さい。
◆ 費用:参加費なし
◆ 言語:英語、日本語
◆ 参加条件:どなたでもご参加いただけますが、特に意欲のある大学院生を歓迎します。
◆ 応募方法(以下のご案内pdfを御覧下さい)
※応募フォーマットは、以下からダウンロードして下さい。
※履歴書のフォーマットは自由です。
◆ 応募期限:参加のみの場合 2018年6月8日(金)
旅費補助を希望する場合 2018年4月26日(木)
◆ お問い合わせ
龍谷大学世界仏教文化研究センター
075-343-3812
rcwbc.office@gmail.com
1月25日に名古屋大学人文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター(以下、「CHT」という)と学術交流に関する包括協定を締結しました。
CHTは寺院資料のアーカイヴス化を進めるとともに、コレージュ・ド・フランス(フランス極東学院)や京都大学等の国内外の研究機関との連携による仏教テクスト研究を推進しています。仏教テクスト研究とは370有余年におよぶ龍谷大学の仏教学研究の根幹をなすもので、文献の「翻訳研究」等をもととした教義思想の解明を行う研究です。
この点は、世界仏教文化研究センターの設立趣旨や研究の方向性に近似するところがあり、今回の学術交流の締結は世界仏教文化研究センターの研究進展と仏教研究の国際拠点化形成に大きく寄与するものと考えています。
本協定により、両センターの保有する資料や両センターの研究者の文献研究によって得られた多種多様な知見を共有することが可能となります。更に、今後「仏教古典籍の総合的研究」を推進する本センターの研究がより促進され、学界および一般社会に”新たな知見”を与えることが期待されます。
締結式の様子1
締結式の様子2
向かって右:阿部泰郎 名古屋大学人文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター長
向かって左:能仁正顕 龍谷大学世界仏教文化研究センター長
2018年1月10日から2月14日にかけて、龍谷大学世界仏教文化研究センター提携講座「聖地をめぐって―宗教と旅―」が、龍谷大学深草学舎紫光館で開催された(受講生:33名)。
宗教において旅はどのような意義を持つものだったのか。古来、旅は何故かくも多くの人々から重視されてきたのか。本講座では、宗教(特に仏教)における旅の目的、歴史、可能性について考察した。
第1回講義「人はなぜ旅をするのか―旅の哲学―」(講師:唐澤太輔)
第2回講義「「我が地」を探し続ける僧たち―旅の説話文学―」(講師:李曼寧)
第3回講義「本願寺参拝の民衆史―旅の宗教学―」(講師:大澤絢子)
第4回講義「看病からダークツーリズムまで―旅の仏教学―」(講師:金澤豊)
第5回講義「信仰と旅―旅の社会学―」(講師:亀山隆彦)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)研究生
◎ヤンゴン出身。ヤンゴン大学理学部を卒業後、21歳の時、Thuka Kari寺院にてティラーシン(戒を守る尼僧)として出家する。2009年に国際上座部仏教宣教大学(ITBMU)に入学し、修士号(仏教学)を取得する。2015年に日本に渡り、大阪YMCA日本語学校での語学研修を経て、2017年度、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)で研究生となる(受入教員:速水洋子教授)。
◎司会: 那須英勝 (龍谷大学文学部教授)
◎通訳: 川本佳苗 (龍谷大学大学院研究生)
本研究談話会は、龍谷大学世界仏教文化研究センターとの共催、龍谷大学アジア仏教文化研究センターの協力で開催致します。
研究発表 09:00~14:15 公開講演(入場無料・申込み不要)14:30~16:30 釈 徹宗(相愛大学 教授) 「宗教・社会・倫理の動的関係」 司会:井上善幸(龍谷大学) レスポンス:小原克博(同志社大学)
学術大会プログラム2017(PDF)
台風18号の近畿地方への接近に伴い、表題のシンポジウムを中止いたします。
本センターとしても非常に残念ですが、何とぞご理解の程、よろしくお願い申しあげます。
なお、日程を振り替えての開催につきましては現在未定ですが、今後本センターが開催いた
します行事にも、ご注目いただきますようお願い申しあげます。
本件に関する問い合わせ先:075-343-3808(世界仏教文化研究センター事務部)
2017年6月30日(金)、深草学舎にて、旅順博物館から王振芬館長、呂媛媛文物応用技術部副主任、徐媛媛器物部副主任、本学から入澤崇学長、能仁正顕世界仏教文化研究センター長、三谷真澄世界仏教文化研究センター西域総合研究班長が出席して、記者会見が行われました。
本学は、付置研究所である仏教文化研究所の西域文化研究会研究員を中心に1992年よりさまざまな交流を行ってきましたが、2018年3月に仏教文化研究所を世界仏教文化研究センターへ統合することに伴い、あらためて学術交流に関する友好協定を締結することとなりました。
旅順博物館が、日本の大学との恒久的な研究友好協定するのは、龍谷大学が初めてとなります。この協定により、大谷探検隊研究の中でもまだ未着手である旅順博物館所蔵の中央アジアから持ち帰った美術考古資料の総合的研究を本センターが推進することが可能となります。
締結式の様子
入澤学長
王館長
webサイト:tresjoias.com.br
facebook:https://www.facebook.com/tresjoias
響都ホールへのアクセス:https://www.ryukoku.ac.jp/ryudaihall/access/
★お問い合わせ:075-343-3812 (龍谷大学世界仏教文化研究センター) 平日10:00~17:00、土日祝は閉室。
菅尾健太郎監督
菅尾健太郎監督
当日の会場の様子
https://motion-gallery.net/projects/tresjoias
仏教にまつわる聖地は日本に多く存在します。例えば、高野山や比叡山、熊野三山などです。このような聖地は、一体どのようなプロセスで創出されたのでしょうか。聖地の形成において、夢告や幻視といった「ヴィジョン」を欠くことはできません。特に祖師たちが聖地において、そうした体験を得る話は非常に多くあります。またそれが宗教的回心(原体験)になることも少なくありません。つまり、聖地と聖者(祖師)は、このような「ヴィジョン」を通じて密接に関連しているのです。「ヴィジョン」を通じて神(仏)と出会っていたとされる祖師たちは、時に伝説として語られ、時に逸話として記憶されてきました。古来、人々は聖地で何を見たのでしょうか。そもそも、なぜ人は聖地に惹かれるのでしょうか。なぜ命を賭してまで向かうのでしょうか。また、聖地は必ずしも常に聖地だったわけではありません。聖地も諸行無常であり、忘れ去られることもあります。本講座では、聖地をめぐる人々の営為を通じて、人間存在の根本的在り方を探求していきます。
第1回 5月10日(水)「聖地における夢告」担当:唐澤太輔
第2回 5月17日(水)「聖地にまつわる祖師像」担当:大澤絢子
第3回 5月24日(水)「帰途のない聖地へ―補陀落へ向かう人々―」担当:李曼寧
第4回 5月31日(水)「悼みの場としての聖地」担当:金澤豊
第5回 6月7日(水)「絵解きと参詣曼荼羅」担当:亀山隆彦
12月6日 後期7回目 「佛教に聞く 悲しみと喜び」
大谷 光真
(浄土真宗本願寺派 第24代門主(前門主))
12月13日 後期8回目「悲しみに寄りそう」
柏木 哲夫
(淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授、
公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団理事長)
【開催趣旨】
大切なものを喪失する悲しみ・グリーフは、誰もが経験します。病気、別離、死別、いじめ、失恋、離婚、失業、故郷の喪失などによって引き起こされます。しかも愛する者との別れの後で、相手から受けた愛情に気づきます。深い悲しみから他者や自然への慈しみも生まれてきます。本講座では、そうした悲しみを見つめるご講師をお招きして、生きることの意味を共に考えたいと思います。
【受講申込】
当日申込 2300円(1回分) 詳細は以下のポスターを御覧ください。
【講座概要】
人間と自然、人間と動物、人間と科学技術など、現代社会には、さまざまな対立が見られます。例えば、現代の人間は何とか自然を支配しコントロールしようとし、また動物を下位と見なして乱獲しつづけています。さらに人間は自分たちが生み出した科学技術を制御できないほど進歩させています。これらの事柄によって生じている全世界的・地球規模の問題は周知の通りです。その根底には、自己中心的なものの見方、あるいは人間優位の考え方、仏教の言葉を借りるならば「無明」があります。
本講義では、この現代のいびつな対立構造を超克する鍵を、仏教の思想に見出すことを目的とします。「社会」「災害」「自然」「動物」「科学」を各回のキーワードとし、仏教における人間観を考察し、我々の無明を照らす道を受講者とともに探っていきます。
※本講座は、龍谷大学世界仏教文化研究センター所属研究員によるオムニバス形式の講義です。
(1) 10月5日(水)
人間と社会—仏教における無明と暴力—
人間が社会生活を営む上で必ずついてまわるのが、暴力です。本講義では、その源を見さだめ、克服する道を仏教の観点から考えてみたいと思います。
担当:亀山隆彦(本センターリサーチ・アシスタント)
(2) 10月12日(水)
人間と災害—仏教者による社会貢献活動—
多発する自然災害に対して仏教者は何ができるのでしょうか。歴史を振り返りつつ、現代における仏教者の社会貢献のあり方について考えます。
担当:金澤豊(本センター博士研究員)
(3) 10月19日(水)
人間と自然—語られた親鸞像—
親鸞は門弟へ宛てた手紙のなかで「自然(じねん)」という言葉を用いています。今回はその姿勢を中心に、他力を拠りどころとして生きた親鸞の歩みをたずねます。
担当:大澤絢子(本センターリサーチ・アシスタント)
(4) 10月26日(水)
人間と動物—仏教観から見る矛盾と調和—
罪を犯した人間が畜生道に堕ちると説く一方「一切衆生悉有仏性」とも主張する仏教。一見矛盾しているようですが、本当にそうでしょうか。仏教の動物観を一緒に考えてみましょう。
担当:李曼寧(本センターリサーチ・アシスタント)
(5) 11月2日(水)
人間と科学—こころのゆくえ—
現代における科学技術の決定的な問題とは何か、そして人間の「こころ」はこれからどこへ向かうのか、仏教思想を絡めて考えていきます。
担当:唐澤太輔(本センター博士研究員)
詳細はこちらまで↓
9月27日 後期1回目「悲嘆力-悲嘆を乗り越える力-」
高木 慶子(上智大学グリーフケア研究所特任所長、生と死を考える会全国協議会会長、カトリック援助修道会シスター)
10月4日 後期2回目「心を病む子どもたち」
水谷 修(夜回り先生、水谷青少年問題研究所所長、花園大学客員教授)
10月11日 後期3回目 「高山右近の苦悩と殉教への歩み」
大塚 喜直(カトリック京都司教)
10月25日 後期4回目「妻として・女優として~夫・大島渚と過ごした日々~」
小山 明子(女優、エッセイスト)
11月15日 後期5回目「夢みる心に宿るもの」
永田 萠(イラストレーター、絵本作家、京都市こどもみらい館館長)
11月22日 後期6回目「臨床で考える悲嘆」
徳永 進(医師、ノンフィクション作家、野の花診療所院長)
12月6日 後期7回目 「佛教に聞く 悲しみと喜び」
大谷 光真(浄土真宗本願寺派 第24代門主(前門主))
12月13日 後期8回目「悲しみに寄りそう」
柏木 哲夫 (淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授、公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団理事長)
【開催趣旨】
大切なものを喪失する悲しみ・グリーフは、誰もが経験します。病気、別離、死別、いじめ、失恋、離婚、失業、故郷の喪失などによって引き起こされます。しかも愛する者との別れの後で、相手から受けた愛情に気づきます。深い悲しみから他者や自然への慈しみも生まれてきます。本講座では、そうした悲しみを見つめるご講師をお招きして、生きることの意味を共に考えたいと思います。
【受講申込】
FAX、郵送、E-mail、いずれでも可能です。詳細は以下のポスターを御覧ください。
受 講 料 事前申込 15,000円 (全8回分) 当日申込 2,300円 (1回分)
※ 当日申込は、座席に余裕がある場合に限り、先着順で受け付けます。
※ 事前申込の場合、龍谷大学、上智大学、京都大学の在学生、卒業生、教職員、在学生のご家族には
受講料の割引制度があります。詳細についてはお問い合わせください。
【事前申込期間】 2016年9月20日(火)まで
【募集定員】 300名
【申込・問合せ】
上智大学 大阪サテライト・キャンパス
〒531-0072 大阪市北区豊崎3-12-8 サクラファミリア2階
℡ 06-6450-8741(平日 10:00~18:00) FAX 06-6450-8742
Email osaka_sc@cl.sophia.ac.jp
・大來 尚順 氏(仏教伝道協会職員、翻訳家、通訳、浄土真宗本願派僧侶)
コメンテーター:桑原昭信氏(龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員)、川本佳苗氏(龍谷大学大学院 日本学術振興会[JSPS]特別研究員)
司会: 那須英勝氏(龍谷大学文学部教授)
大來尚順氏は、浄土真宗本願寺派、大見山超勝寺僧侶。寺子屋ブッダ講師。1982年、山口県生まれ。龍谷大学卒業後に、米カリフォルニア州バークレーのGraduate Theological Union/Institute of Buddhist Studies(米国仏教大学院)に進学し修士課程を修了し、現在、仏教伝道協会職員として仏教の国際化を目指す各種の事業を推進されるとともに、仏教に関連する学術会議や講演会などの英語の通訳、仏教関係の書物の翻訳なども手掛けておられます。
その間、ハーバード大学神学部研究員を経験され、また最近では、お坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」(テレビ朝日系列)に準レギュラーで出演されるなど「活動の場を幅広く持つ新世代の僧侶」として活躍されています。
また初級英語で仏教用語をやさしく解説する『英語でブッダ』(扶桑社)は、Amazonで「仏教学」「仏教入門」両カテゴリーでベストセラー1位にランクインしたこともあります。
大來尚順氏
龍谷大学世界仏教文化研究センターでは、E-journal『世界仏教文化研究』(創刊準備号)を発刊いたします。
主に、以下の研究に関連する原著論文、翻訳研究を公募いたします。また、世界の仏教研究の動向、書籍や国際シンポジウム、研究者などの紹介記事も受け付けます。
❖大蔵経をはじめとした仏教の古典籍や歴史・美術考古資料を中心に検討した研究
❖異文化交流や宗教間対話など学際的なコンテクストの仏教研究
❖社会における仏教の役割や現代的意義の検討およびその実践にかかわる研究
❖翻訳研究:仏典テキストの校訂や現代語訳を試みる訳註研究
※ 本E-Journalは、英文論文の投稿を積極的に受け付けます。
【原稿締切日】2016年7月31日(日)
【投稿先】龍谷大学世界仏教文化研究センターE-journal編集委員会
rcwbc-ejournal@ad.ryukoku.ac.jp
※ 詳細は、貼付チラシ及び「研究成果」のページの「E-journal」の項目を御覧ください。
肖 越 氏(佛教大学総合研究所研究員、本学仏教文化研究所客員研究員、沼田研究奨学金受給者)
May 28 (Sat.)
1000-1010 Katsura, Shoryu(桂紹隆) (Opening Remarks)
1010-1110 1. Deguchi, Yasuo(出口康夫), “Bhāviveka on Negation from a Contemporary Viewpoint”.
1110-1200 2. Eckel, M. David, “The Two Truths and the Structure of the Bodhisattva Path in “The Introduction to the Nectar of Reality” (Madhyamahṛdayakārikā chapters 1-3)”.
1200-1300 Lunch
1300-1340 3. Siderits, Mark, “Two Truths, the Inexpressible and Analysis”.
1340-1420 4. Ye, Shaoyong(葉少勇), “To Establish the Middle Way on One Truth or Two Truths?: A Survey Based on the Mūlamadhyamakakārikā and its Commentaries”.
1420-1430 Break
1430-1510 5. He, Huanhuan(何歓歓), “Bhāviveka’s *Hastaratna on the Vaiśeṣika Argument of Sound being Impermanent”.
1510-1550 6. Tamura, Masaki(田村昌己), “Bhāviveka on saṃvṛti”.
1550-1630 7. Ikeda, Michihiro(池田道浩), “Tathyasaṃvṛti and Pṛṣṭhalabdhajñāna”.
1630-1640 Break
1640-1720 8. Hayashima, Satoshi(早島慧), “A Study of the Transition of Interpretations: Satyadvaya in the Mādhyamika and the Yogācāra”.
1720-1800 9. Ichigo, Masamichi(一郷正道), “Śāntarakṣita on Satyadvaya”.
1830-2000 Reception
May 29 (Sun.)
1000-1040 10. Yoshida, Akira(吉田哲), “The Theory of Two Truths in the Abhidharma Texts”.
1040-1120 11. Kimura, Yukari(木村紫), “Satyadvaya in the Abhidharmakośabhāṣya: āryasatya and
the Knowledge of the Others”.
1120-1200 12. Nishiyama, Ryo(西山亮), “A Comparison of the Three Versions of the Madhyamakahṛdaya-kārikā Chapter 4”.
1200-1300 Lunch
1300-1340 13. Niisaku, Yoshiaki(新作慶明), “Candrakīrti’s Criticism of Bhāviveka in the Prasannapadā Chapter 18”.
1340-1420 14. Li, Shenghai(李勝海), “Dimensions of Candrakīrti’s Conventional Reality and What is Taught in the Abhidharma”.
1420-1430 Break
1430-1510 15. Akahane, Ritsu(赤羽律), “A Study of the Impact of the Pramāṇaviniścaya on the Two Truths Theory of Jñānagarbha”.
1510-1550 16. Sato, Akira(佐藤晃), “Kamalaśīla’s Interpretation of Satyadvaya and the Proofs on Absence of Intrinsic Nature”.
1550-1600 Break
1600-1640 17. Kumagai, Seiji(熊谷誠慈), “Tibetan Interpretations of Satyadvaya”.
1640-1720 18. Saito, Akira(斎藤明), “Bhāviveka’s Concept of Prajñā in the Context of Two Truths”.
1720-1730 Break
1730-1820 Discussions
1820-1830 Katsura, Shoryu (Closing Remarks)
5月10日 「喪失体験による悲嘆を考える」高木慶子(上智大学グリーフケア研究所特任所長、生と死を考える会全国協議会会長、カトリック援助修道会シスター)
5月17日 「親鸞と世阿弥の哀しみ」山折哲雄(国立歴史民俗博物館・国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学名誉教授)
5月24日 広島被爆者講話「ヒロシマ原爆の悲しみと平和への願い」対談:鍋島直樹(龍谷大学世界仏教文化研究センター副センター長、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター長、龍谷大学文学部教授、実践真宗学研究科臨床宗教師研修主任)
6月7日 「悲嘆に寄り添う」村上典子(神戸赤十字病院 心療内科部長、日本心療内科学会専門医・理事、日本心身医学会専門医・指導医)
6月14日 「音楽による悲嘆の癒し」山下達也(作曲家、アメリカ・ボストンのバークリー音楽大学を経て、東京音楽大学作曲指揮科を卒業、日本初のwebサービス「マスタード」を運営)
6月21日 「行方不明の夫にあてたラブレター 気仙沼ご遺族」菅原文子(東日本大震災ご遺族)、対談:鍋島直樹
6月28日 「大重潤一郎監督『久高オデッセイ第三部 風章』上映と解説「島の祈り」」鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授、4月より上智大学グリーフケア研究所特任教授、NPO法人東京自由大学理事長、神道ソングライター)
7月19日 「悲しみから生まれる力~東日本大震災後を生きる」島薗進(上智大学グリーフケア研究所長、東京大学名誉教授)
【開催趣旨】
大切な人やものを喪失する悲しみ(グリーフ)は、すべての人がそれぞれのライフステージで経験します。家族や自分自身の病気、生き別れ、死別、学校や職場におけるいじめ、友達との別れ、失恋、卒業、離婚、孤立、ペットの死、挫折、失業などによって引き起こされます。悲しみには後悔が伴います。しかも人は死別の悲しみを経験することを通して、亡き人から受けた愛情に気づきます。深い悲しみから、他者や自然への慈しみも生まれてきます。喪失の悲しみは、人に本当に大切なものを考えさせてくれます。
京都は日本の悲嘆文化が練り上げられた土地です。それぞれの時代に、宗教・思想・芸能が誕生した背景には、創唱者・開拓者自身の深い悲しみや迫害がありました。そしてその深い悲しみからこそ、生き抜く智慧や慈しみ、創造力が生み出されていきました。本講座では、悲しみを理解し、悲しみを見つめることを通して生きることの意味、死の意味を共に考えたいと思います。
【受講申込】
FAX、郵送、E-mail、いずれでも可能です。詳細は以下のポスターを御覧ください。
事前申込 15,000円 (全8回分)
当日申込2,500円( 1回分)
※当日申込は、座席に余裕がある場合に限り、先着順で受け付けます。
※事前申込の場合、龍谷大学、上智大学ならびに京都大学の学生、卒業生、教職員、学生のご家族には、受講料の割引制度があります。
詳細についてはお問い合わせください。
申込:2016年4月28日(木)まで
定員:300名
申込・問合せ
上智大学 大阪サテライトキャンパス
電話番号: (06)6450-8742
FAX番号: (06)6450-8742
受付時間:10時30分~18時
・亀山隆彦(龍谷大学世界仏教文化研究センター リサーチ・アシスタント)
・李曼寧(龍谷大学世界仏教文化研究センター リサーチ・アシスタント)
・唐澤太輔(龍谷大学世界仏教文化研究センター 博士研究員)
日本には多くの「聖地」があります。例えば、世界遺産にも登録されている熊野古道のある那智山は古来、生と死が混じり合う聖地とされてきました。またよく知られているように、空海が修行の場として開いた高野山は、密教における大変重要な聖地となっています。さらに仏教説話においても、他にも様々な聖地が描かれてきました。
時に何人も寄せ付けないような妖しく危険な場所ともされてきた聖地。それにもかかわらず、現代にいたるまで人々は聖地へ足を運び続けてきました。
聖地はなぜ私たちをこれほどまでに惹きつけるのでしょうか。聖地に宿る力とは一体何なのでしょうか。
本講座では、特に仏教にまつわる聖地について、歴史学・文学・心理学・哲学などの側面からアプローチしていきます。龍谷大学世界仏教文化研究センター(2015年4月設立)の若手研究員たちが、オムニバス形式でわかりやすく解説していきます。
(1) 5月11日(水)13:15~14:45
聖地の概念 担当:亀山隆彦
「聖地」という概念をめぐって、これまで様々な定義・解説が積み重ねられてきました。まずはそれらを総括し、本講座の導入としたいと思います。
(2) 5月18日(水)13:15~14:45
日本の三大聖地をめぐる 担当:亀山隆彦
日本には様々な聖地が存在しますが、なかでも熊野と伊勢、そして白山は「三大聖地」と呼ぶにふさわしい場所です。それぞれの特徴と共通点を探ってみたいと思います。
(3) 5月25日(水)13:15~14:45
仏教説話に見る異色な聖地―二度と訪ねられぬ場所― 担当:李曼寧
仏教説話のなかには、熊野や高野山、比叡山や四天王寺など典型的で有名な聖地の他、無名で異色なものもあります。今回は特に「二度と訪ねられない」という点に注目します。
(4) 6月1日(水)13:15~14:45
聖地の哲学①―夢と聖地― 担当:唐澤太輔
聖地は夢のような場所とされ、またそこで人は実際に不思議な夢をよく見るようです。聖地と夢の関係を探ります。
(5) 6月8日(水)13:15~14:45
聖地の哲学②―彼らはなぜそこを去ったのか― 担当:唐澤太輔
人は聖地に永遠に留まることはできません。聖地からなぜ人は去るのでしょうか。「無」と「不安」から考えます。
詳細は、下記を参照して下さい。
<特別講演会>
【開催日時】平成28年3月12日(土曜日)15時から16時30分
【場所】大阪府立中央図書館2階大会議室
【講師】鍋島直樹氏(龍谷大学文学部教授、龍谷大学世界仏教文化研究センター副センター長)
【講演題名】「亡き人と共に生きる―東日本大震災と臨床宗教師」
【講演内容】宮城県南三陸町で臨床宗教師が実践した被災者に対する心の支援活動
【定員】70名
【参加方法】申込不要(先着順)・無料
3月8日から20日まで<震災展>も開催しております。あわせてぜひ御覧ください。
<震災展>
【開催日時】平成28年3月8日(火曜日)から3月20日(日曜日)
【場所】大阪府立中央図書館1階展示コーナー
【主な展示】南海トラフ地震予測被害ハザードマップ、地震被害写真(阪神淡路大震災、東日本大震災)など
【観覧料】無料
※「臨床宗教師」とは、布教を目的とせず、宗教・宗派を超えて、人々の悲しみに寄り添う宗教者のことです。東日本大震災の後、被災者の心のケアに携わる専門職を育成するため、2012年に東北大学では、実践宗教学寄附講座「臨床宗教師研修」が創設されました。病院や社会福祉施設などで精神的サポートを担うことが期待され、この試みに賛同する大学が増えています。講演会では、宮城県南三陸町の被災者に対する臨床宗教師の実践を講演して頂きます。
詳細は以下のページから↓
http://www.library.pref.osaka.jp/site/central/sinsai2016.html
【問い合わせ先】大阪府立中央図書館総務企画課
〒577-0011東大阪市荒本北1-2-1
電話番号 06-6745-0170(代表)
ファクシミリ 06-6745-0262
この度(2015年7月)、2009年9月23日に公益財団法人 仏教伝道教会とカリフォルニア大学バークレー校の間で交わされた「沼田智秀仏教書籍最優秀賞」に関する契約書が改正されました。今後、受賞者には、授賞賞金1万ドルとバークレーでの記念シンポジウム開催に加え、龍谷大学(世界仏教文化研究センター)での特別講演の権利が与えられます。また龍谷大学(世界仏教文化研究センター)は、受賞者来日特別講演に関わる費用を負担します。
田邉 雅章 氏 (Masaaki Tanabe)
〔プロフィール〕映画監督。ヒロシマ70プロジェクト代表。1937年、原爆ドームの東隣りに生まれる。8歳の時原爆に会い(二日後に入市被爆)両親と弟が犠牲に。15歳で記録映画監督を志し一筋に生きる。日大芸術学部映画科卒。還暦を機に史上初の爆心地復元事業に取り組み、17年をかけて6作品を完成、国連上映などで反響。広島市民賞、広島文化賞、政府非核特使、著書『原爆が消した廣島』など。2015年4月、ニューヨークの国連本部で、英語版を上映し、世界中からの反響があった。
・挨拶:赤松徹眞(龍谷大学学長)
・映画上映(62分)
・舞台講話:田邉雅章 氏(映画監督)
・聞き手:鍋島直樹(龍谷大学文学部教授)
・謝辞:龍谷大学学生代表