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応用研究部門 萌芽的公募研究

【明治期における真宗伝道の諸相】

応用研究部門萌芽的公募研究
The Various Aspects of Shin Buddhist Propagation in the Meiji Period
2022年度

研究代表者

釋 大智(文学部非常勤講師)

研究種別

個人研究

概要

近年、活況を呈している近代仏教研究において、「布教」も主要なトピックとして認知され始めた。中西直樹は教団史関連の資料や、教団関係者が発行した雑誌に注目し、そこから見られる特殊布教の実態を総合的に分析している(『令知会雑誌と明治仏教』不二出版株式会社、2017年など)。あるいは、谷川穣は明治前期における西本願寺教団の教育改革に着目し、宗教者の布教(=教化)が教育へと移行していった様子が明らかにした(『明治前期の教育・教化・仏教』思文閣出版、2008年)。彼らの研究は、主として明治期の近代化が創出した新たな布教の形式に焦点が当てられている。しかし、その一方で真宗門徒の信仰を支えていた、当該期における伝統的な信徒布教に関する研究は必ずしも十分とは言えない。明治という近代日本社会の開始地点において、伝統的な真宗伝道はどのような展開を遂げていたのか。
本研究では、明治期における真宗伝道の諸相を明らかにするべく、教団史的文脈の外縁に位置していた浄土真宗の僧侶たちに注目する。例えば、博多万行寺第19 世・七里恒順(1835-1900)である。七里は月珠や南渓といった学僧に師事したのち、自坊の境内に甘露窟(私塾)や龍華孤児院などを開設するなど、幅広い活動をみせていた。特に七里の信徒伝道に対する評価は高く、妙好人の浅原才一や、近江商人の伊藤忠兵衛も薫陶を受けていたことが指摘されている。江戸期の修学研鑽を経て、明治以降、浄土真宗のロゴスは教学者たちによって構築されていった。しかし、浅原才一や伊藤忠兵衛といった人物が象徴するように、浄土真宗のエートスはまさに布教伝道の場において醸成されてきたのである。七里恒順の他には、本願寺派の木村徹量(1864-1926)、大谷派の宮部圓成(1854-1934)や渥美契華(1809-1978)などを取り上げる。彼らは七里と並び、明治期を代表する説教者である。彼らの言説や実践を比較検討することで、伝統と近代の間隙にあった真宗伝道の様相を浮き彫りにする。こうした明治期における真宗伝道の動向を追跡する手始めに、本プロジェクトでは、各人物に関する史料蒐集と整理を行う。かかる基礎作業を踏まえて科学研究費を獲得し、継続的な研究を実施する予定である。