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【報告】「北斉時代における阿弥陀浄土信仰の興起」

2025.02.25

 龍谷大学大宮キャンパスでは2025年2月5日(水)に「北斉時代における阿弥陀浄土信仰の興起―石刻資料からの分析―」が開かれた。講師は倉本尚徳氏(京都大学人文科学研究所准教授)で、コメンテーターは本学准教授の内田准心氏、司会進行は本学非常勤講師の都河陽介氏がつとめた。今回の研究セミナーでは、倉本氏が調査を進めている中国石刻研究の視点から、特に北斉時代に至るまでの阿弥陀浄土信仰の変遷について紹介した。

講演中の倉本氏

 まず倉本氏は、中国の仏像銘の歴史を分析すると、西方浄土教主の仏名が「無量寿」から「阿弥陀」へ変遷していくことを指摘し、特にこの変遷が北斉時代に顕著であるとする。その背景として西方浄土を説く漢訳経論に使用された仏名の影響が考えられ、北魏時代までの訳出経論によれば「阿弥陀→無量寿→無量寿・阿弥陀」と変遷していくことを説明する。ただし、南朝と北朝においては流行する経論が異なっているため、阿弥陀浄土信仰が興起した理由を探るには、それぞれの時代や地域においてどのような仏像名や実践が流行したか分析する作業が必要であることを述べた。さらに倉本氏は、収集した仏像銘や石刻から、南朝においては仏駄跋陀羅・宝雲訳とされる『無量寿経』の影響が中心を占め、一方北朝では『観無量寿経』の影響が複数存在しているという。そして、北朝における『観無量寿経』の流行の背景には、北斉時代に活躍した「禅師」といわれる実践者の存在が関わっており、多くの石窟に『観無量寿経』をモチーフとした「阿弥陀」仏名の仏像・石刻経典が彫刻されたと指摘した。

質疑応答の様子

 講演後、参加者を交えて活発な質疑応答が行われた。特に北斉時代以前に造営された雲崗石窟において阿弥陀三尊像とみられる仏像が多数発見されており、北魏時代から北斉時代における阿弥陀信仰の変遷について今後の研究発展が期待されることが問題提起された。

講演後の記念写真