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【報告】Admonitions from Ishiyama: A Reappraisal of Rennyo and the Reception and Role of Sacred Teachings Documents in the History of Shin Buddhism

2023.10.30

嵩 満也氏
嵩 満也氏

2023年7月21日(金)に、龍谷大学大宮キャンパスでは、George Keyworth氏(サスカチュワン大学准教授)によるコロキアムが行われた。コロキアムのテーマは “Admonitions from Ishiyama: A Reappraisal of Rennyo and the Reception and Role of Sacred Teachings Documents in the History of Shin Buddhism”(「石山からの戒め:真宗史における蓮如と聖教の受容及び役割の再評価に向けて」)であった。司会・進行は、本学教授の嵩 満也氏が担当した。本コロキアムの概要は以下の通りである。

 Keyworth氏は、日本と中国の中世仏教を専門とし、今回は浄土真宗本願寺派で中興の祖とも称される蓮如を取り上げながら、中世日本における「聖教」の概念を中心に講演した。氏はまず、「聖教」(仏教における聖なる教え・文献)の定義とその重要性について紹介し、東アジア地域、特に中国仏教における聖教の重要な地位について説明した。次に日本における聖教概念に由来について触れつつ、法然、親鸞、蓮如の残したテキストに見る「聖教」の具体的な事例を取り上げ、最後にそうした原典が翻訳された時、「聖教」はいかに翻訳されたのかについて説明した。

George Keyworth氏
George Keyworth氏

 「親鸞聖人」と「蓮如上人」の言葉では、「聖」と「上」の字は異なるものの、その発音は同じであり、こうした違いは「聖教」の概念を理解する上でいかに役に立つのか。あるいは、真宗の重要な経典である『歎異抄』にある「聖教」という言葉は、英訳ではsacred texts, valuable textsなどと翻訳されている(仏教伝道協会訳、1996年)が、このようなキーワードの正しい翻訳は、真宗の伝統における「聖教」の概念を理解するためになぜ重要なのか。

質疑応答の様子
質疑応答の様子

 仏教では指導者によって「聖教」の概念が様々であり、真宗でも親鸞および蓮如による「聖教」の使い方は異なる。蓮如にとって「聖教」は、伝統的な尊い教えも含意し、一般的な経典や仏教テキストだけではないことを意味している。言い換えれば、蓮如は伝授された特定の教えに従う必要性を強調し、このような教えを誤読したり誤解したりすることを警告しているのである。その意味では、蓮如にとって「聖教」とは、経典や正典と同じことではなく、伝授された重要な教えを含む特定の経典を指すものであると主張した。最後にKeyworth氏は、「聖教」概念の正しい理解は、真宗独特の伝統とその重要性を理解するための鍵であると結論付けた。講演の後、現地およびオンライン参加者から多岐にわたる質疑と議論が交わされ、盛況のうちに終了を迎えた。