【報告】 RCWBC Colloquium: Soundscapes of the Pure Land? Music, authenticity, and identity in globalizing Jōdo Shinshū
2022.11.17
2022年10月21日(金)、今年度第 2 回龍谷大学世界仏教文化研究センターコロキアム「Soundscapes of the Pure Land? Music, authenticity, and identity in globalizing Jōdo Shinshū(浄土のサウンドスケープ?――グローバル化する浄土真宗における音楽、オーセンティシティおよびアイデンティティについて」が開催された。本コロキアムではLouella Matsunaga(ルエラ・マツナガ)氏(Oxford Brookes University・オックスフォード・ブルックス大学、イギリス)による講演が行われた。司会・進行は、本学教授の那須英勝氏が担当した。
Matsunaga氏(以下「マツナガ氏」と表記)は、浄土真宗の音楽的儀礼の世界的な展開と受容について調査するために、世界仏教文化研究センターの客員研究員として龍谷大学に滞在している。今回の講演では、19世紀後半以後、浄土真宗の音楽的な宗教儀礼(声明、読経など)の実践がいかにして海外に伝播、その過程でどのように独自な変容を遂げたのか、日本、ハワイとアメリカ、そしてヨーロッパの事例を中心に紹介した。マツナガ氏によれば、こうした宗教的な儀礼の国際的な展開は、近年において活発に議論されてきたグローバル化の問題を理解するためにも重要な手掛がりになり得る。
日本仏教は、明治維新後に特定の地域的な宗教ではなく、世界的な宗教として捉えなおされていく。19世紀後半になると、日本からの移民がハワイをはじめ、アメリカ大陸に移住し、それによって浄土真宗もはじめて西洋に伝わった。海外に伝播した浄土真宗は、世界のそれぞれの地域にある既存の文化の影響で変容を遂げることになる。ただ、ここで注意すべきは、浄土真宗の儀礼における音楽的プラクティスの変化が、海外のみならず、日本国内でも起こっていたことである。マツナガ氏は、日本、ハワイとアメリカ、ヨーロッパからの具体的な事例を提示しながら、これらの地域における浄土真宗の儀礼的な音楽がどのように独自の展開を見せたのかについて詳しく紹介した。
明治期以後、「時代に合わせる」といった要求に応えようとして、浄土真宗でも「声明」「読経」「仏教音楽」など儀礼音楽に変容が強いられた。天台宗の伝統に遡る真宗声明の儀礼は、それまで口頭で伝授されてきたが、1857年に西洋風の楽譜が追加され、詠唱の方法も体系化された形で出版されるようになる。明治期になると、社会の近代化とともに西洋風の仏教音楽も導入されるようになった。1912年に本願寺により洋式の楽曲が収録された楽譜も刊行され、その5年後に大阪の本願寺津村別院ではじめての音楽法要が行われている。また、できるだけ多くの僧侶が無理なく声明を唱えられるようにと、勝如上人(第23代宗主、1911-2002年)により声明のさらなる簡略化も試みられている。近年では、本山である本願寺を含むいくつかの大きなお寺では、洋楽の様相を取り入れた仏教讃歌が行われているところもあるが、「声明」と「読経」が用いられることの方が圧倒的に多い。この数年の事例から言えば、朝倉行宣師による「テクノ法要」やTa2miのように、新しい仏教音楽への挑戦も行われている。
他方、アメリカにおける浄土真宗は、1890年代に日系人の移住とともにハワイとカリフォルニア州地方を中心に伝播していったが、この頃日系人に対する差別が強く、結果として、仏教儀礼はキリスト教に合わせるような形への変更が余儀なくされた。例えば、アメリカの仏教界でも、キリスト教のように日曜礼拝が開始され、次第に賛美歌に似た楽曲も導入された。1920年代の初めにハワイで刊行された浄土真宗の出版物を確認してみると、「Amida」の代わりに「Lord」という言葉が頻繁に利用されることなど、キリスト教的な語彙の借用の影響が確認できる。さらに、キリスト教の音楽と類似する英語での経典・偈頌の翻訳も試みられ、特に北アメリカやハワイ地方の真宗の儀礼では一定の人気を集めた。実際、こうした英語の翻訳で経典・偈頌を唱えることは、アメリカ日系人のアイデンティティの一部として現代まで伝わってきたことに注目すべきである。また、より多くの信者を獲得するために、浄土真宗というよりも、むしろ一般的な仏教信者としてのアイデンティティ形成に力が入れられたこともあったようだ。近年においては、アメリカでは日本のように読経する傾向も強いが、ハワイでは英語での読経もしばしば行われているようだ。また日曜礼拝などにおいても、パーリ語のvandana(帰敬偈)やti-sarana(三帰依)も唱えられ、パーリ語と英語を併用して儀礼を行う例も少なくない。
浄土真宗は19世紀の後半にはじめてヨーロッパに紹介された。これは、よく知られていることであるが、本願寺は数回にわたってヨーロッパへ学僧を派遣している。ヨーロッパにおける最初の報恩講は、1891年にフランス・パリのギメ博物館で行われ、赤松連城(1841-1919)のようにヨーロッパで仏教伝道活動を行った人物もいる。しかしながらこうした活動は、浄土真宗に特化した伝道というよりも、どちらかというと一般的仏教としての紹介に限られていたようだ。仏教がはじめて西洋世界で広く注目された1893年のシカゴ万国宗教会議でも、テーラワーダ仏教が中心であり、浄土真宗が仏教本来の宗派であるかについて議論さえあった。ヨーロッパは、アメリカと違って日系人は少なく、第二次世界大戦後まで浄土真宗の伝道活動はほとんど確認できないと言って良い。少なくとも文献上、1954年に勝如上人がドイツを訪問した時に、Harry Pieper氏((1907-1978年)が浄土真宗へ改宗したのがはじめての事例である。しかしその後、浄土真宗はイギリス、ベルギー、オーストリアなど国々へ普及することになる。現在では、ドイツ、イギリス、スイス、ベルギーでは特に浄土真宗の信者が多いが、これらの国々ではアメリカ式の真宗の儀礼ではなく、むしろ日本と同じ読経が人気である。しかし、パーリ語の礼拝や三帰依を唱える場合もある。
上記のように、浄土真宗における音楽的儀礼の国際的な展開を見れば分かるように、グローバル化は、必ずしも特定の中心から周縁地へ伝播する現象ではない。日本、アメリカ・ハワイ、ヨーロッパの事例から考えれば、浄土真宗の中心である日本でも、仏教音楽が様々な形で変容したことが確認できるし、同じように日本から世界各地に伝播した浄土真宗の儀礼音楽も、それぞれの地域でさらに独自の発展を見せた。こうした仏教音楽の視点から考えてみると、従来のグローバル化論では前提とされた、西洋と日本といった二項対立的な捉え方も成り立たなくなるのではないだろうか。