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【報告】基礎研究特定公募研究「真宗聖教の文献学的研究」セミナー―新国訳大蔵経『無量寿経論』担当の思い出―

2022.12.05

11月25日(金)、基礎研究特定公募研究「真宗聖教の文献学的研究」において、仏典翻訳家・宗教評論家の大竹晋氏を講師として招き、「新国訳大蔵経『無量寿経論』担当の思い出」をテーマに研究セミナーを開催した。本セミナーは「真宗聖教の文献学的研究」が『無量寿経論』の訳注の作成を目指していることから、菩提流支訳経論研究の第一人者であり、既に『無量寿経論』の国訳を発表している大竹氏から、『無量寿経論』の特徴について助言を得ることが目的の1つであった。以下、大竹氏の報告を要約する。

                        大竹晋氏

大竹氏は、筑波大学において竹村牧男氏に師事していたことから、竹村氏の推薦を得て、新国訳大蔵経の釈経論部ヴァスヴァンドゥの釈経論を中心に、『十地経論』や『法華経論』『無量寿経論』『文殊師利菩薩問菩提経論』などの執筆を担当することとなった。

執筆には、当時の知的関心の趣くままにひたむきに取り組んだ。その関心とは、元魏の菩提流支へのものである。結果として、ヴァスヴァンドゥに帰される釈経論を担当することにはなったが、ヴァスヴァンドゥに特に関心があったわけではなく、菩提流支の方に大きな関心があった。特に、竹村氏の『大乗起信論』研究の結果、菩提流支訳の漢訳仏典に彼みずからの思想が加えられていること、彼の漢文著作の逸文が存在していることに強い興味を持っていた。

このような関心をもとに、1年に1冊、何百頁かの本として国訳を出版していくこととなった。そのなかで、自身に力があることに気づいた。そのことが、自分の道の自覚へとつながっていった。

この講演のために、改めて『無量寿経論』の国訳を読んでみた。執筆の方法としては、『無量寿経論』の語彙や構文と同じものを、菩提流支訳のみならず、梵語や西蔵語訳として現存しているほかの諸経論のうちに見つけ出し、それらが梵語や西蔵語訳においてどのような語彙や構文に該当しているのかを、確認することで、同論を解読していったものである。その結果、たくさんの発見があった。

もっとも代表的な発見は、『無量寿経論』が「別時意趣」説に基づいて書かれているというものである。別時意趣とは、インドの唯識学派においては、『無量寿経』は阿弥陀仏を称念する凡夫が臨終の直後に極楽世界へ転生することができると意趣しているのではなく、念仏する凡夫が臨終から幾度も輪廻転生を繰り返して、仏教者の修行を経て聖者となった別の時に極楽世界へ転生することができると意趣していると説かれている。解読の結果、同論もまた「別時意趣」説にもとづいていることを発見したのであった。

また、菩提流支の漢訳のみ現存している『無量寿経論』のもとの梵語のかたちを正確に想定することは不可能であり、『無量寿経論』の訳注を出版する際には、あくまでひとつの試訳にすぎないことを明記する必要がある。

このように、大蔵出版から書籍を出版していくなかで、自分のなかに直感力、発想力、表現力、創造力があったことに気づくこととなった。その力を十分に発揮し、後悔のない人生とするため、大学に就職する道よりも、筆一本で生きる道を選ぶこととなった。

                          会場の様子

この十数年のあいだに研究環境は飛躍的に便利になった。デジタル化された梵語仏典、パーリ語仏典、漢語仏典などが多数公開されて、SAT『大正新脩大蔵経』テキストデータベースのように便利な検索機能が提供されているのである。しかし、新国訳を担当しはじめたころは、仏教典籍のデータベースはほとんどなく、1つ1つの単語、文章の読解に大変な時間がかかり、苦労があった。

そこで、研究環境が便利になった今こそ、学界は力を尽くして研究に取り組むべきである。個人的には、若い人は前人未踏の文献に対し、地道に翻訳研究を行うのがよいと考えている。そして、若い人は研究のなかで、先行研究に対する態度について十分な注意を払ってほしいと思う。たとえば、前人已踏の文献について、先人の翻訳研究をなぞって、インターネット検索によって、かりに先人の間違いをいくつか修正できたとしても、先人の間違いをことさらにあげつらうことは避けてほしいのである。データベースのない時代に数々の成果を打ち出している先人の方が現在の研究者よりもはるかに博覧強記である。先人の研究を受けている我々が、先人の研究から大きな恩恵を受けていることが疑いないわけであるから、さらに広く先行研究を渉猟し、それを踏まえながら、先学が成しとげられなかった革新的な研究を完成すべきだろう。 自身にとっては、『無量寿経論』を含む新国訳大蔵経担当を担当したことが自分の道を自覚する転機となった。若い人にもそれぞれの道があり、転機があると思う。「若い人は頑張れよ」と蔭ながら応援している。