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【報告】『考信録』七巻本の成立過程について

2023.01.30

 1月26日(木)、親鸞浄土教総合研究班「真宗学研究プロジェクト」において、世界仏教文化研究センター嘱託研究員の西村慶哉氏を招き、「『考信録』七巻本の成立過程について」の研究セミナーを開催した。

 このプロジェクトは、江戸中期の浄土真宗の学僧である玄智が撰述した、「浄土真宗の百科事典」と称される『考信録』の研究に取り組んでいる。今回、西村氏は現存している『考信録』の諸本、特に七巻本の成立過程についての知見を述べた。以下、西村氏の報告を要約する。

                        西村慶哉氏

 従来、玄智や『考信録』に関する研究は、安永三年(1774)に成立した『考信録』の五巻本・六巻本を対象として多数の成果が公開されてきた。ただし、諸本の成立時期や成立過程をめぐっては、いまだ十分に解明されてこなかった。そこで『考信録』の諸本を整理してみると、現存している『考信録』の諸本には、おおよそ二巻本、六巻本、七巻本の三系統が確認できるという。また、『考信録』は玄智の最晩年まで増補改訂が繰り返されており、大きく三期に分けられるという指摘もある。即ち、安永三年(1774)に『考信録』二巻本を起草し、そして安永七年(1778)に六巻本までを増補し、最後に寛政元年(1789)に七巻本として再校したという流れである。西村氏は、七巻本系統の3本の関係に着目し、第三期とされる『考信録』の成立過程をより明確化することを試みた。

 西村氏は、龍谷大学図書館所蔵の3点、いわゆる①玄智自筆の七巻本、②七巻書写本、③三巻書写本(もとは七巻本)について精査し、それぞれの関係性を整理した。

 まず、②七巻書写本と③三巻書写本の異同については、基本的な内容と構成は同じであるが、巻一・巻二の目次が異なっていることが注目される。特に③三巻書写本に比べ、②七巻書写本の目次項目が減少・整理したことが重要である。これによって、原本の重複項目を削除した後、③三巻書写本から②七巻書写本へと展開した可能性、または原本をそのまま書写した三巻本と重複項目を整理削減した七巻書写本が同時に成立した可能性という、二つが推定できる。

 次に、自筆七巻本の改訂時期について検討された。西村氏は、七巻本における目録及び年紀、本文の異同を調べる限り、『考信録』七巻本の成立順序を以下のように提示する。それは、六巻本から自筆七巻本の再校へ、そして三巻書写本と七巻書写本が写されて、最後の自筆七巻本の改訂の結果、現在の形態となるということである。

 最後に、『考信録』が改訂され続けた理由について言及した。西村氏は、玄智をとりまく本願寺の状況の変化、玄智自身の思想的変遷、及び新資料の入手などの諸要素があったと考えている。その一例として、六巻本の巻一に存在したものの、後に削除された「領解文」という項目に注目した。天明四年(1784)「領解文」を新刻するにあたり、玄智は「領解文」の文言は光善寺本が最も整っていると勧めている。しかし、実際に新刻されたのは、光善寺本とは相違するもので、その内容にも玄智は教学的不審感を抱いて、再度光善寺本を勧めたが、訂正はされなかった。その後天明七年(1787)の頃、能化巧存の請いにより新刻「領解文」が弘通されるようになった。その結果、寛政元年(1789)以後、玄智は『考信録』より「領解文」の項目を削除したと考察している。

                       ディスカッションの様子

 上掲した内容を踏まえ、西村氏と参加者の間で活発な議論が行われた。そこでは、『考信録』以外の玄智著作との比較研究の必要性を提示され、『考信録』の内容と玄智の思想変遷や当時の教団内部の問題点などの解明が今後の課題と位置づけられた。そして、改めて『考信録』の自筆本を始めとした諸本を比較検討する意義の大きさが確認された。