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【研究会報告】In search of the Rainbow-coloured Dharma: Queerness and Buddhism

2023.03.30

2023年3月17日(金)に、2022年度第3回 沼田奨学金研究奨学金の受賞者であるビー・シェーラー氏(アムステルダム自由大学教授)による講演会が行われた。講題は “In search of the Rainbow-coloured Dharma: Queerness and Buddhism” (「虹色のダルマ(Dharma)を求めて―クィアと仏教について」)であった。宇治和貴氏(筑紫女学園大学准教授)がコメンテーターを務め、司会・進行は本学教授の那須英勝氏が担当した。

那須 氏

 シェーラー氏は、講題の通り、クィアと宗教の絡み合いについて触れ、次に仏教研究ではクィア理論がいかに展開されたのか、そして仏典ではクィアについていかなる言及があるのかについて述べた上で、最後に現代のグローバルな仏教におけるクィアへの眼差しについて発表を行った。氏によれば、クィアと宗教の概念は、宗教そのものと、クィア=アクティヴィストの両方の言説において大きな問題である。それは、宗教はLGBTIQ+に対して統治と引き換えの帰属を可能にし、その一方でクィア解放運動側はしばしば「宗教」という西洋的なカテゴリーはLGBTIQ+の敵であるとしてきたからである。宗教とクィア解放活動におけるこうした断絶は、とりわけアジアの伝統的な仏教団体や指導者によってさらに悪化させられたと言える。それは、影響力を持つ保守的な仏教指導者や思想家たちが、仏典や注釈書に見られる複雑で本質的に異質な性/ジェンダー/性行動の多様性のカテゴリーを、現代のクィアネスと混同させるところから生じるものである。とりわけ、少なくても性的指向に関しては、前近代の仏教ではアイデンティティ(19世紀ヨーロッパの言説であるように)として本質化されなかったことに注目すべきである。

シェーラー 氏

 仏教研究は、依然として既存の人類学・社会学の範疇の中で「認められる」ことを前提に、文献学的・歴史学的・哲学的な手法で、男性の特権を基本とする思考で行われており、最新の批評理論の手法を応用した研究は最近までほぼ行われてこなかった。そうした数少ない先駆的な研究のとしては、フーコーやデリダの理論を応用しながら仏教とセクシュアリティについて論じた、ベルナール・フォールの単著The Red Threadが代表的であろう。最近の仏教研究では、クィア論を含めて批判理論を使った研究が増えつつあるものの、クィア論と仏教を総合的に論じる体系的な研究はいまだ少ないと言える。その一方で、クィア研究の分野では、仏教的な視点から論じた研究はほぼ皆無であろう。

 それでは、仏典はジェンダー・セクシュアリティをいかに描いているのであろうか。例えば、仏教の宇宙観と人間観を描いたAgaññasuttaでは、性/ジェンダーの出現に先立ち、いかなる性的特徴も持たない幽玄な存在が徐々に固まっていくという記述がある。同時に、ほとんどのパーリ語経典 (suttas) には、性・ジェンダー・セクシュアリティに関する記述はない。仏教思想の根本をなす「苦」(dukkha) は、自立した自己の存在という誤りから生じるものであり、それが人間の救済を妨げるものであるとすれば、性・ジェンダー・セクシュアリティといった固定されたかつ単純なアイデンティティは、救済の妨げにはならないのである。初期の仏教の教えでは、性的行為は他の日常的な行為のように「人がするもの」だけであり、特別視されていない。そして、初期仏典によれば、セクシュアリティはある種の欲望(taṇhā 渇愛)であるため、執着の原因となりうるためdukkhaを生じさせる。その意味では、セクシュアリティという欲望を最終的には克服しなければならないと記述されている。

宇治 氏

 Vinayasuttaなどの初期仏教のテキストは、同性愛者のセクシュアリティについては、異性間のセクシュアリティと同視される一方で、一貫して男性中心かつ家父長的な視点を前提としている。異性間のセクシュアリティへの差別は、4世紀のクシャーナ朝時代になる初めて現れるが、それは南アジア地域以外の影響により生じたものであったかもしれない。それ以降の仏典では、性的な行為は婚姻中の性交に限定されるべきであり、非婚的かつ非生殖的な性行為はすべて非難され禁止されるようになったのである。

久保 氏

 次に、現代仏教はクィアを含めてジェンダー・セクシュアリティについていかなる態度をとってきたのであろうか。近年の仏教界からの事例から見てみると、クィアに対して全面的に否定する立場と、完全に肯定するという対立的な側面が窺える。例えば、2019年に伝統的に仏教徒が多数であるミャンマーの僧侶が、同性愛者の図書館職員の自殺についてあざ笑いし、あらゆる同性愛者に対して暴力を呼び掛けた事件が話題になった。他方、タイのPhra Waradhammo氏のように、そのNeo-Buddhismというインターネット上のブログは、同性愛社と仏教を交流するプラットフォームをなしており、同じくタイのクィア映画では伝統仏教は大きく取り上げられることもしばしばある。

 シェーラー氏によれば、クィアに対するあらゆる暴力をなくすためには、LGBTIQ+の人々に対する社会的および個人的な眼差しの根本的な態度の変化が必要であり、氏はそうした態度を「解放のダルモロジー」(liberation dharmology)と定義している。仏教徒にとって、包括的な社会構造を積極的に創造し、差別や体系的な暴力が原因である社会的な要因に反対することは、倫理的な必須事項ではないか。これは、性に対する初期仏教の倫理的な態度(例えば、成人パートナーの平等扱い、非強制、既存の約束の尊重など)の枠組みのなかで十分に達成可能であるという。

 シェーラー氏の講演後、宇治氏によるコメントと質疑がなされた。宇治氏は、自身が関わっているクィア仏教研究会の動機と日本におけるクィア仏教研究活動について紹介した上で、シェーラー氏の発表内容について質問し、活発な議論が交わされた。なお、参加者・聴衆からもクィアや性差別など幅広い内容について活発な質疑があり、充実な議論が行われた。

集合記念写真