【報告】第5回 日中チベット学ワークショップ
2023.09.15
2023年9月14日(木)、龍谷大学世界仏教文化研究センター 基礎研究部門 大蔵経総合研究班主催、中国蔵学研究センター・龍谷学会共催の、第五回日中チベット学ワークショップ「チベットの医学と仏教—歴史・思想・文献—」を開催した。
中国蔵学研究センターと龍谷大学との間では、これまでチベット学、特に仏教を中心とした研究分野において相互の交流を重ね、2011年には共同研究と学術交流に関する協定を結び、今日に至る。2017年に世界仏教文化研究センターの開設を記念して、本学で国際シンポジウム「チベットの宗教文化と梵文写本研究」を開催し、多数の研究者が集った。
今回のワークショップは、2019年以来、コロナ禍でしばらく延期されていた研究交流が、四年ぶりに再開することとなる。まず、能仁正顕氏(龍谷大学文学部教授)により開会の辞および趣旨説明、三谷真澄氏(龍谷大学世界仏教文化研究センター基礎研究部門長・文学部教授)により歓迎の辞が述べられた後、訪問団の代表として廉湘民氏(中国蔵学研究センター副センター長)より挨拶を頂戴した。続いて、仏教経典研究・チベット医学という二つの面から、五名の研究者による研究発表が行われ、最後に、岩尾一史氏(龍谷大学文学部准教授)による閉会の辞をもって締めくくった。
このワークショップは、二つの研究グループが展開するだけではなく、研究内容を報告し合い、研究交流をするという意味では、非常に重要な研究の場である。以下、二部に分けて、各研究発表の梗概を記す。
前半はチベット仏教に関するものである。まず、淺井教祥氏(龍谷大学大学院)より「ツォンカパの『大乗荘厳経論』における幻喩の解釈」と題して、チベットにおける著名な学僧であるツォンカパཙོང་ཁ་པ་བློ་བཟང་བློ་བཟང་གྲག་པ་(1357〜1419)の主著、『了義未了義善説神髄དྲང་ངེས་ལེགས་བཤད་སྙིང་པོ་』にあらわされた仏教解釈について発表された。この著はチベット仏教における唯識思想理解を示す重要な典籍と位置付けられている。淺井氏はインドの大乗論書である『大乗荘厳経論』の第Ⅺ章に説かれる幻の譬喩について、著作中でツォンカパが瑜伽行唯識学派の立場に基づいた解釈を示していることを明らかにした。
続いて、北山祐誓氏(龍谷大学非常勤講師)より「『中辺分別論釈疏』再校訂に関する試論―第Ⅰ章「相品」を中心に―」と題して、チベット訳に基づいたサンスクリット校訂作業について、実例を示しながら発表が行われた。北山氏は唯識教義をあらわした『中辺分別論』の注釈書の一つである『中辺分別論釈疏』におけるサンスクリット写本の欠損箇所を取り上げ、チベット訳の電子テキストデータベースを駆使することによって、より精度の高いオリジナル写本の復元が可能になることを示した。
インドにおいて制作された仏教テキストはチベットにわたり、チベット語に訳出され、また学僧らによって新たな解釈がなされていった。チベットにおける仏教展開は、さかのぼってインドにおける仏教にも新たな知見を与えるものでもある。両者によってチベットを起点に明らかとなる広大な仏教展開の一端が示された。
後半はチベット医学、特に名高い『四部医典རྒྱུད་བཞི།』という8世紀末成立の医学百科全書に関するものである。まず、仲格嘉氏(中国蔵学研究センター北京藏医院・研究員)は、「チベット医薬の理論と実践(藏医理论与实践)」と題し、医者としての視座から、三八六〇余年の歴史を有するとされるチベット医学の基礎理論と臨床実践を、『四部医典』の内容を図解したタンカを用いて紹介した。主に「生理病理树(人体生理と病理の樹)」や「藏医胚胎学图谱(人間が受胎から出産至るまでの様子を図示したもの)」という二枚のタンカを通じて、チベット医学理論の中核たる三因説(隆・培根・赤巴)を説明した後、それが五源(土・水・火・風・空)や三毒(貪・瞋・痴)、また寒暖と関係することを述べた。最後に「诊断树(診断の樹)」「治疗树(治療の樹)」という二枚のタンカを通じて、チベット医学の診断方法と治療方法を概説した。
続いて、羅布扎西氏(中国蔵学研究センター医薬研究所・研究員)は、「清代北京におけるチベット医薬の伝播と発展について(浅谈藏医药在清代北京的传播与发展)」と題して、「曼巴扎仓སྨན་པ་གྲྭ་ཚང་།(チベット寺院の中の医学院)」の設立、および木版『四部医典』の刊行という二つの面から考察を行った。まず「曼巴扎仓སྨན་པ་གྲྭ་ཚང་།」は、チベット医学の教育機構でとある同時に、教学・研究・医療・製薬といった機能も集約されている。雍和宮は代表的な事例である。そこでは、チベット医学のほか、チベットの仏教や天文暦算なども教授されていた。一方、木版『四部医典』については、二十種類が知られているうち、北京で刊行したのは一つしかない(すなわち普寧寺ཀུན་ཏུ་བདེ་བའི་གླིང་།版)とされてきたが、新しい版本(すなわち嵩祝寺蔵蒙印経院ཟུང་ཅུ་ཟེའི་བོད་སོག་ཆོས་ཀྱི་པར་ཁང་།で刊行した嵩祝寺版)が見つかったという。嵩祝寺版は、いままで普寧寺版と同一視されてきたが、その跋文の内容や、普寧寺版の誤字を訂正しているところから考えると、もうひとつの北京版『四部医典』と看做してよいとする。
最後に、次旺邊覺氏(中国蔵学研究センター科研オフィス国際処・副処長)は、「木刻版の『四部医典』について(《四部医典》木刻本研究)」と題して、木版『四部医典』の諸版本のうち、山南扎塘版གྲྭ་ཐང་པར་མ།をはじめとする八本の比較研究をおこなった。結論から言うと、扎塘版『四部医典』はチベット歴史上最初の版本であり、多くの版本の底本として活用されていたことが明らかになった。諸本のうち、阿里宗嘎版རོང་དཀར་པར་མ།や日喀則達旦版རྟག་བརྟན་པར་མ།を除けば、すべて扎塘版、あるいはそれを底本とした版が底本となっている。また、『四部医典』には木版画の挿絵が大量に入っているのは、仏教の中国本土化に起因するという。木版印刷技術の発展に伴い、木版『四部医典』には実用価値はもとより、文化芸術価値をも持つようになった。さらに、「书头符ཡིག་མགོ(文章の頭に用いる符号)」が木版の年代を判定する一つの基準であるが、普寧寺版における「书头符」が規範的ではなく、チベット語の書写間違いも見られるところからして、普寧寺版は現地の職人が模刻した可能性があるという。