【報告】浄土教礼讃偈の律動
2023.02.27
2月16日(木)、世界仏教文化研究センター基礎研究部門特定公募研究「真宗聖教の文献学的研究」において、佛教大学教授齊藤隆信氏を招き、「浄土教礼讃偈の律動」をテーマとした研究セミナーを開催した。
齊藤氏は、善導の礼讃偈を研究する際に、文学作品と同じように音数律・声律・韻律という韻文の三要素を導入した結果、善導の礼讃偈の大部分と法照の礼讃偈は「宗教作品の偈」としてのみではなく、「文学作品の詩」として再評価すべきであると提唱する。以下、齊藤氏の報告を要約する。
まず、齊藤氏は韻文の三要素について説明した。音節数(句中の字数)によって規定された形式を有する詩歌や散文の音楽的なリズムである。声律はいわゆる句中の平仄(平声・上声・去声・入声)である。中国語は声調があることにより、楽曲的なメロディーにのせずとも、文章を朗誦するだけで一定の旋律が得られる。韻律は、同じ韻母を偶数句末に配置することで、いわゆる押韻となる。
次に、齊藤氏は善導以前の浄土教礼讃偈について検討した。例えば、世親『往生論』の願生偈が五言、曇鸞『讃阿弥陀仏偈』では七言と、音数律は揃っているが、声律(平仄)と音律(押韻)が欠如している。ただし、声律と音律の配慮にまったくなされていないため、『往生論』や『讃阿弥陀仏偈』は中華の詩歌としての音楽性と文学性は希薄となり、大衆参加型の儀礼としては十分なものとなりえなかった。
そこで、善導は旋律豊かな『観経疏』『往生礼讃偈』『法事讃』が作ったのであろうと推測される。このような善導作の礼讃偈の韻律について分析してみると、音数律として七言を採用していること、声律として句中の平仄が意図的に配置されていること、韻律として偶数句末におけるやや通俗的な押韻がなされていることが明らかされた。要するに、善導は大衆儀礼に合う礼讃偈を作成するため、律動の通俗的な諸要素を考慮しながら、当時の人々の嗜好に合わせて多数の七言礼讃偈を作成したと、齊藤氏は指摘する。したがって、善導の作品によって中国浄土教の礼讃儀礼における歴史的・記念碑的な改革が行われていたといえる。それだけではなく、善導以後の浄土教の儀礼における懺悔と讃嘆は信仰表現と表裏一体の関係で、脆弱無力で罪深い存在としての自己に対する絶望(懺悔・信機)と、自己をはるかに超越した救済者の存在に対する畏敬(讃嘆・信法)とが一体になっている。静的教理(信機・信法)による理解を、動的な儀礼(懺悔・讃嘆)によって体感できる仕組みができあがっていたことは注目に値する、と齊藤氏は評価している。
最後に、齊藤氏は善導の作風を継承した法照の『五会念仏法事讃』等へも検討を加えた。五会念仏は、単調になりがちな口称念仏を、儀礼用に緩急と高低の変化を加えた音楽的な唱法である。ゆえに、善導の礼讃偈に比べより文学的な作品となる上、漢字音の地域性や口語表現と和讃の多用性等の特色がみられる。
上掲した齊藤氏の報告を受けて、齊藤氏と参加者の間で活発な議論が交わされた。議論は、「仏典における宗教性と文学性の問題」、「浄土教における礼讃儀礼の位置付け」、「『浄土論』願生偈の文体について」など多岐にわたった。その議論の内容からも、齊藤氏による浄土教礼讃偈研究の意義の大きさが確認されることとなった。